>> 斑鳩の里 <<
当ホームページに点在する「斑鳩」に関するコンテンツをここに集結。
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コラム ・ IKARUGA “あれから10年” | 〜 大切なことは全て斑鳩から教わった 〜 |
2006年5月。長年の目標であったHARD3200万オーバーを達成しつつも、最愛のペットの他界をはじめ、私生活の揺らぎもあいまって、それ以来の更なる高みに向けたモチベーションを上がることが、どうしても出来なくなっていた。
達成したスコアのキリが良かったこともあり、本サイトの攻略記事の完成を機に、およそ4年間に及ぶ斑鳩との闘いからついに引退を決断することとなった。
それ以降、街で稼動台を見掛ける事があっても、決してそこに戻ることは無かった。
様々な想い出とともに積み重ねたそのスキルや経験を手放すことに若干の寂しさこそあれど、その決断に後悔や未練は無い。
あれから10年。斑鳩がもたらしたモノとはいったい、何だったのか。
困難を前にしても、時に心を打ち砕かれたとしても、確固たる目標を持ち、そこに至るための道筋を開拓し、鍛錬を重ね、そしてこれを達成するというプロセス。それは単なるゲームという枠を超え、スポーツに、そしてビジネスにすらも充分通用するスキルとして、その後の道を切り拓いてゆくこととなる。
そこで得たスキル・経験をこの10年という節目を機に、ここに綴っていきたいと思う。
斑鳩という存在に感謝を込めて。
目標は、自分で決めるもの
トップクラスの世界に魅せられ、そしてそれを少しでも自らの手で再現・実現させたいという想い。それはどんなジャンルにでも心当たりのある動機付けではないだろうか。
自分を突き進めさせる原動力。それは、誰に言われるでもなく、自分で決めた目標であるということ。その根底には強烈な憧れがあり、そして強い意思が備わっている。
それは「必ずしも必然性を伴わない行為」に対する、確固とした支柱となる。
それを支えるものはやはり、誰かから指示されたり強制されたものではなく、「自分の意思で決めた」という事実だ。
これこそが一切のブレを排除する、力の源。全てはここにその中心軸が備わることとなる。
それを立証することは比較的簡単だ。
部活動でも仕事でも何でも。物事に対し、情熱を注げるか否か。寝食を忘れて没頭できるかどうか。
先輩から、部長から、上司から、顧客から言われたからやるのか、それとも自らの意思で取り組むのか。
その成果は歴然としている。
ただ、自分で決めた、いわば「根拠の無い目標」だからこそ、ときに自分に負けて、妥協して、それを達成できずに去ってゆくこともある。
けど、時間が掛かったとしてもまた戻ってきて、これを克服し、これを乗り越えることができればまたひとつ、自分を成長させることができる。
そして次なる目標、ステージへと上がってゆくことができる。
大いなる目標に向かって突き進むために必要なこと
段階的に引き上がってゆく目標というものは、最初はわりと簡単にクリアでき、そして気持ちも乗ってくるのだが、それが次第に困難なものになると、何度もその壁に跳ね返され、次第に心も荒れてくる。
特に、目標が大きければ大きいほど、それは顕著なものとなる。
対処方法。それは目標を細分化し、ひとつひとつのパートごとに必要な達成基準を分析し、具体的な数字を立てることだ。そしてその数字を達成するために何が必要かを考え、仮説を立て、検証し、考察してパターン化する。PDCAの原則だ。
うまくいかなければ、うまくいくまで何度も何度もこのサイクルを回すだけ。
もしそこに、手本となる人物やプレーがあれば、だいぶ近道を通ることが出来る。幸い、今は攻略サイトや動画、そして書籍といった情報が比較的手軽に入手できる時代だ。だから、荒削りでもなんでもいいから、まずはとにかくプレー内容を真似してみる。すると、出来るところ・出来ないところが次第に明確になってくる。
そして、「なぜ出来ないのか」だけでなく「なぜ出来たのか」をも細かく分析、仮説・検証をし、ときに安定を求めた妥協やアレンジを経ることで、自分なりのスタイルを獲得してゆく。
自己のスタイルが確立し、いちどパターン化さえしてしまえば、次からは多少ラクになる。考える必要も無く、パターンに沿ってただ実行するだけだからだ。
そのうちそれだけでは飽き足りなくなったり、ステップアップしたくなる時が来る。確立したパターンから脱却し、ときに必要に迫られて更に上を目指さなければならない時が来る。
一度安住したパターンを壊し、またうまくいくまで検証と考察を重ねるのはキツいけど、これがうまくいった時の喜びは計りしれない。
守破離の世界がそこにある。
なにをやっても上手くいかないとき
大いなる目標を立て、パートごとに細分化し、仮説・検証をして理論値を求め、そしてこれを実力に見合ったレベルに落とし込んでパターン化する。
そこまで出来たら、あとは細分化したパートを繋げて、目標が達成されるまでをひたすら繰り返すだけだ。
もちろん、意外とスムーズに出来るシーンもあれば、なかなか成功しないシーンもある。そして失敗を繰り返すうちに心が折れてくる。
そんなときは一時的に、物理的にも離れてみる。
心が軽くなり、リフレッシュできると気持ちに余裕ができるだけでなく、時にふとした気付き・インスピレーションを得て、これを再開したときにすんなり成功することもある。もしくは、どうしてもうまくいかないパートの目標値を下げて安定化を図り、他のパートを攻めることでカバーするようなアイディアを思い付くこともある。
理論値と、実力と、安定と。
これがガッチリ決まったとき、その目標は達成される。
そしてその過程で浮き彫りになった課題を検証し、それを克服したときの理論値・目標を底上げして、次なる目標を定め、そしてそれを達成すべく、またひとつ高いレベルで同じことを繰り返してゆく。
自分で決めた目標は必ずやり遂げろ。
仮説・検証・考察のサイクルは科学の考え方らしい。
理論値云々は、どちらかというと理系の考え方かもしれない。
典型的な文系人間の自分だが、この境地に至ったのは恐らく、目標の立て方、そして具体的な数値としてその目標を管理するという過程で得た自分なりの問題解決方法だ。
とは言えしかし、うまくいくまで何度も何度も同じことを繰り返すのは骨が折れるし、これを続けるにはそれなりの動機付けが必要となる。
うまくいくまで続けることの出来る原動力とはいったい何なのか。
やはりそれは「情熱を注げること」、そして何よりも「好きであること」に他ならない。
そして、自分で決めた目標だからこそ、誰に強制されたわけでも無く、自分自身で決めたことだからこそ、それを何としてでも達成したいという強い想い、願い、夢を持ち続けることが出来るのだ。
「自分で決めた目標は必ずやり遂げろ。」
座右の銘とも言えるこのフレーズは、いつぞやのTV番組で偶然チャンネルを合わせたときに語っていた読売ジャイアンツの選手が、少年たちに向けて語った言葉だ。
それがどの選手だったかは今となっては分からないが、きっとその時のメンタル状態にたまたま合致して強烈に胸に刻み込まれたのだろう。以後、事あるごとにそれを胸に抱きつつ、物事に取り組んできた。
「自分を信じる」ということ
困難に苛まれ、打ちひしがれても幾度となく立ち上がり、また立ち向かってゆく。
その行動力を支えるのは、大なり小なりの成功体験を得てきたこと、そしてそのための努力の仕方を身をもって知っていることにある。
そして、部分部分での成功という実力理論値のおかげで、「大丈夫。きっとうまくいくはずだ。」という確かな自信を持つことが出来るようになり、そのすべてを丸ごとひっくるめて、「自分を信じる」ことが出来るようになるのだ。
確かな成功体験、実力理論値、自信。
大いなる目標の達成を目前にしたとき、極度の緊張に見舞われる。しかし、これらが全て発揮されたとき、あれほど遠かった目標はついに現実のものとして、手中に収めることができる。
しばしの喜び、感慨。しかしそれも次なる目標、更なる高みへのステップに過ぎない。
再び仮説・検証・考察を経て、次なるステージへと駆け上がってゆく。
そのレベルが上がれば上がるほどに、その達成は困難を増すことになるが、努力の仕方はすでに分かっている。だからそれを、次の目標に合うよう調整をしながら進んでゆけばいい。
そしてその対象は「人生」というゲームにしても然り。
大切な事はすべて斑鳩に教えてもらった。
斑鳩が好きでよかった。
時に、男39歳。
この先どんな困難や壁が待ち構えていることだろう。
けど、これからも斑鳩から教わったことを遺憾無く発揮して、この先もマイペースで進んでいきたい。
それを乗り越えた先には輝く世界が煌々と広がっていることを、すでに自分は知っているのだから。
2016/05/14 記
コラム ・ IKARUGA (2004年執筆版) |
我、生きずして死すこと無し。
既に過去のゲームとなりつつある斑鳩。しかし、斑鳩に惚れ込み、未だにプレーし続ける自分の、ひとつの斑鳩に対する想いをここでは綴っていきたいと思います。(コラムと言うよりかは感想に近いですが。)
おまえ達を生かしているのは、この私。
だが、おまえ達はそれを理解できぬというのか?
言わずもがな、ガチガチなパターンゲームである斑鳩。これを、開発者の意図の元にプレー「させられている」という意識がはたらく事から、斑鳩否定派も少なくはないと思います。そして自分の斑鳩に対する姿勢も、必ずしもそういった意識が無いとは言い切れません。…しかし、それでも斑鳩をプレーし続ける理由というのは…「単にやってて面白いから」。この一言が全てを物語っていると言えます。
また、特に好んでプレーするHARDモード(というかこれしか出来ない(ってのもヘンな話ですが))の場合ですと、パターンゲーでありながらもアドリブ要素が非常に強いため、ある程度の慣れがあっても尚、平気で1面で終わったりする事があるのも(汗)、私がHARD斑鳩に挑戦し続ける事のできる要因の一つとなっているのでしょう。
おまえ達にも見えているのだろう?
未来永劫、この輪廻を断切る事など出来はしない・・・
結局のところ、メーカーが「斑鳩」を作ることがなければ、プレイヤーは遊ぶことすら出来ないという因果は絶対的な事実として存在します。実際、パターンの研究をすればするほど、何故かこの事が頭をよぎり、自分の現在の行動に疑問すら抱く事があります。でもだからと言って、今更それに対して問いかける事は無意味だとも思うのです。…「単にやってて面白いから」。この理由だけで十分ではないだろうか、と。(自己暗示かもしれませんが。)
それ故に・・・悔いの残らぬよう、やり遂げなさい。
わかっていたはずだった・・・私達は、自由を見られるかしら?
今、自分はある大きな目標を掲げており、そしてそれを達成するために再構築を重ねてます。無論、「天才は1%の才能と99%の努力」とは言え、努力でカバーできるレベルにも正直限界があると思います。だから今、自分の力の範囲内で出来る限りの全てを引き出せるようなプレーを目指し、日々精進しているつもりではあります。
これで・・・良かったのか?
大丈夫・・・何時か、きっとわかり合える日が来る。
そして、遠い未来へ・・・命は受け継がれるから。
ひょっとしたら、目標は達成できずに終わってしまうかもしれません。でも、その時に「斑鳩」について振り返ってみたときに、それに対して悔いの残らない思い出となっていたならば、それはそれである意味やり遂げた事になる、と言えるのではないでしょうか。
今、こうして費やしている時間が意味のあるモノとするためにも。
2004/02/05 記