>> サンフランシスコ <<

1998年10月

 

大学4年次の秋に訪れたサンフランシスコは私にとっての初めての海外旅行だった。さすがに独りでの海外は無理があるので、海外旅行に慣れている友人と二人で行くことにしたのだが、パックツアーなどは利用せず、予定に縛られない自由な旅を満喫することができた。

市内観光 #1

成田空港から8時間、そしてシアトルで乗り継ぐこと2時間後。ようやくサンフランシスコに到着。荷物を回収し、タクシーを拾って市内に移動する。見るものすべてが初体験!当たり前のことだが、左ハンドルに右側通行にカンゲキ(笑)。そして辺りは英語英語英語!果たしてこれからやっていけるのだろうか。些かの不安が残りながらの旅行が始まった!

というわけで、まずは街の中心部、メイソンスクウェアに到着。タクシーの運ちゃんにチップ込みの30ドルを手渡し、まずすることはホテル探し。3〜4軒まわって、とりあえず68ドルのツインルームを確保。余談だが、後に宿泊したニューヨークの相場は一人当たり、共同バスの安い部屋で80ドル。そしてそれなりの設備が整ったホテルだと、軽く150ドルを超えることから、同じアメリカでもこれほどまで格差があるものかと思い返すのである。

 

さて、いよいよ市内観光に繰り出したわけだが、サンフランシスコは周知のとおりの坂の街。10%の傾斜はかるく超えるような強烈な坂がどこまでも続く街を、歩けるわけがない。そこで登場するのがケーブルカーというわけだ。

地中に埋められたケーブルが絶え間なく動き、それをつかんで坂を登るこのケーブルカーは世界最古ということだが、いまでも現役の移動手段として活躍している。観光客や地元の人間に混じって、スーツ姿のビジネスマンも利用することが多く見受けられたので、なるほど彼らの”足”として根付いているのだなぁと実感した。

さて、我らがケーブルカーはMUNI(ミュニ)という会社が経営していて、右の写真にあるパスポートを購入すると、その期間は乗り放題になる。ケーブルカーはもちろんのこと、MUNIマークのついているバスや地下鉄も乗り放題となるため、絶対にお買い得なのだ。料金は何種類かあるが、我々は3日間で10ドルのパスパートを購入。ここでまた蛇足だが、ニコラス・ケイジ主演の映画「60セカンズ」におけるカーチェイスシーンで、パトカーが激突したバスにこのMUNIらしきマークがあった。ロケ地はロサンゼルスということなので、この会社はシスコだけでなくロスでも運営しているのだろうか。

 


さぁ、ケーブルカーの終点、フィッシャーマンズワーフに到着。名前から察するとおりの港町で、海産物もたくさん売っている。「オニーサン、カッテイッテクダサイ」って、日本語が達者だこと。それに加え、詐欺等で何かと悪名高い、3枚10ドルでTシャツを作る店があったり、”I LOVE CISCO”ステッカーを売りつけようとする連中が近づいてきたり。いかに日本人がカモにされているかがよくわかる。まぁ、大体は無視していれば去っていくのだが、そうこうしているうちに、観光予定のアルカトラズ島行きのフェリーのチケット売り場に到着。しかし、好評に付き当日分・翌日分ともに売り切れ。仕方なく、2日後の分を11ドルで購入。

 

さて、フィッシャーマンズワーフのうち、ピアー39という場所にさまざまなお店が集中している。そのうちのひとつ、私が興味を示したのはゲームセンター。すると、おぉ、お馴染みのラインナップが。しかも店名はナムコランド。そのまんまではないか。ただ、プレー料金が少し変わっていて、トークンと呼ばれるコインに両替して、それをゲーム機に投入するのである。しかも大抵は3〜4コインで1回。1ドルでコイン4枚になるので、料金的には日本とそう大差なかった。
当然のようにコインを投じる私。そういえば写真からも分かるとおり、海外のおもちゃの拳銃って、強盗等を防止するため、わざと派手な色にしているという記事を読んだのを思い出した。
 
     
日も暮れてきたのでそろそろ帰ろうかと思い、ケーブルカーの乗り場に行くと、長〜〜〜〜〜〜い行列が!でも、あの坂を歩いていくわけにも行かず、素直に順番を待つことにした。乗り場の近くには、約20ドルでタクシーになってくれるリムジンが待っていたが、そんな無駄金は使いたくなかったので、利用することはなかった。でも、一度は乗ってみてもよかったかもしれない。それにしてもリムジンって、ダックスフンドみたいでなんて間抜けな車なんだろう。(考えすぎ?)

さて、行列に加わったものの、なかなかケーブルカーはやってこない。また、一台に乗れる人数が少ないため、全然人数が進まないのだが、そこは陽気なアメリカン。全く怒ることもなく、気長に順番を待つのであった。そして。

 

 

来ました来ました大道芸人。彼の名前はエスケープマン。ぐるぐるに縛られたチェーンをはずし、脱出するという芸を披露するのだが、それをケーブルカーの線路(?)の敷地内でやってしまうのだ。いやぁ、そこらへんがアメリカンだなぁと感じながらも、彼のパフォーマンスに拍手する者や、掛け声を送る者。見る側もアメリカン。この待ち時間を楽しむ術を知っている。で、脱出成功後はちゃっかりとチップを要求してくるのだが、見せる側も見る側もノリがよく、我々も含め、みな快くチップを入れていた。

   

ようやくケーブルカーがやってきて順番がまわり、乗車することが出来た。そして出発する直前、また面白い大道芸人が今度はたくさんやってきた。これぞ有名なゲイ集団。上の右の写真である。サンフランシスコは、アメリカのほかの州から追い出されたゲイの人たちを受け入れる街でもあるわけだが、そんな彼らが集合して、何やら掛け声を掛け合っている。残念ながらその後、どこか別の場所に移動してしまいましたが、日本にはない、また面白い面を見ることができた。それにしても彼らのパワーは一体、どこからやってくるのだろうか。。。

 

カリフォルニア大学バークレイ校

2日目。予定より一日遅れる事となったアルカトラズ島行き。予定を前後させ、この日はバークレイに行くことにした。カリフォルニア大学と言えば、出身者にノーベル賞受賞者を多く抱えている、名門校らしい。でも別にそんな心構えもせず、ただなんとなく、アメリカの大学の雰囲気を味わってみたいということで、軽い気持ちで行っただけなのだった。

バークレイまでは地下鉄を利用した。シスコでは地下鉄のことを一般にバートと呼ぶらしい。日本で言うところの、JRとか営団といったところだろうか。いずれにせよ、MUNIとは別の会社が経営しているのでパスは使えない。切符を買い、ガタゴト揺られること数十分で到着。加速と減速がかなり速いのに、それほど揺れることがない。そして、車内はかなり綺麗で乗り心地も良い。ニューヨークのそれとは比べ物にならない。また”アメリカの地下鉄は危険”というイメージも、かなり揺らいでしまった。どうでもいいけど、あ、やっぱよくないか。アメリカの電車って、自転車をそのまま車内に持ち込めるのだが、それがうらやましくて。日本で何回、持ち込みたいと思ったことか。きっと、日本ほど混むことがないのだろう。混んだとしても、そこは譲り合いの精神があるのだろうなぁ。

さて、駅から歩くこと数分でいよいよ大学構内に入る。だが、入り口から校舎までの距離があることあること!広いったらありゃしない。しかも緑にあふれていて、一見するととても大学とは思えない。そしてリスのような小動物が普通に生息しているのである。都心の大学に通った自分にとってこれはかなり羨ましいものであった。

 

さて、あちこち歩いているうちに、いっせいに学生が校舎から出てきた。どうやら授業が終わったようだ。まだ11時だったが、早くも昼休みのようで、自分たちも彼らに混じって昼食をとることにした。
思ったのだが、昼休み中にも関わらず勉強する姿も多く見受けられた。さすが、入学は簡単だが卒業は大変なだけある。「大学は遊ぶところ」という意識が少なからずある我々日本人にとってこれが良いことか悪いことかはその人自身の価値観の問題ではあるものの、「大学は勉強するところ」、勝ち組と負け組が決まるのはこういったコツコツとした努力の積み重ねにあるのだろうと、ふと思い、そしてそれをまざまざと見せ付けられたようだった。

 

 

サウサリート

午後になって、次の目的地、サウサリートに向かう。いったんシスコ市街地に戻り、そこからバスで移動。サウサリート方面行きのバスにMUNI路線はなかったので、これまた料金を払って乗ることに。
バスが来るまでの暫しの待ち時間。おぉ、パトカーがサイレン鳴らして、一方通行をドリフト逆走仕掛けてやがる。カッコエェ…(爆)

さて。ゴールデンゲートブリッジをこえて、目的地に到着。ここサウサリートは漁師の街。船の停留場こと波止場ってやつを初めて見る。ぎっしり詰まっていた。また、ここからサンフランシスコの街並みを一望することができた。…むぅ、たいした思い出が無い。やはり他人の計画にくっついて行くだけで、自分が行きたいわけでもない場所となると、こうもあっけらかんとしたものなのか。まぁ、真の目的は、ゴールデンゲートブリッジを歩いてわたることにあったから、まぁ良しとするが。

 

 

ゴールデンゲートブリッジ

サウサリートでしばらくたたずんだのち、日も傾いてきたことで、いよいよゴールデンゲートブリッジを歩いて渡って帰ることに。ただ、サウサリートからは歩くには少し距離があったので、バスの運ちゃんに橋の手前で降ろしてもらうことにした。

バス停でも何でもないところで降ろしてもらい、いよいよ橋に差し掛かる…って、まだ橋まで結構距離あるじゃん。とは言えすでに降りた後だったのでしょうがない。まぁ歩くのも旅の醍醐味ということで。
さぁ着いた。いやぁ、でかいでかい。長い長い。高い高い。え〜と…、ま、いいや。そういうわけですな。そして橋の真ん中から下を見てみたら、高すぎて足がすくんでしまった。こりゃ落ちれば死ぬわな。自殺者が1000人を超えたようだし。

橋を渡りきったところに土産屋があったので、買う気はないが土産品を見に立ち寄る。そしてしばらくして外に出ると、すっかり気温も落ちていた。今度こそ、MUNIバスで帰ることにした。が、ちょっと間違えた路線に乗ったようで、ちょいとデンジャーな地域に突っ込んでしまいそうになったので、直前で降り、別の路線に乗り換えて市街地に戻ることにした。あたりはすっかり真っ暗。乗客もヤバそうな連中がチラホラ(半ば偏見?(笑))。私は極力地元民のフリをするため、暗いにもかかわらずサングラスをかけ、ふんぞりかえって住民に紛れるように心掛け、カラまれることから辛くも逃れたのであった。…あぁ、怖かった。(爆)

 

 

アルカトラズ島

3日目。本当は昨日行くはずだったアルカトラズ島に、今日こそ本当に行けることになった。

アルカトラズ島はもともとは軍事要塞設備だったものを、戦争が終結したのち1963年まで刑務所として使用されていた。有名なところで、かのアル・カポネもここに服役していたのだという。
脱獄不可能が謳い文句の監獄島だったが、脱出に成功した服役者もいた。そのエピソードは映画にもなっている。クリント・イーストウッドの「アルカトラズからの脱出」が有名だろう。今となっては古い映画ではあるが、中身はなかなか見ごたえのあるものであった。当初見たときはフィクションだと思っていたが、ここを訪ねてそのエピソードを聞くうちに、半ばそれが必ずしも作り物であると言い切れないとも感じた。

さて、それでは刑務所内部に入ってみよう。

アルカトラズ島は現在、刑務所としてはもちろん閉鎖されていて、一般に公開されている。そのお陰で我々も中に入れるわけだが、入り口では解説のカセットテープを貸し出ししていて、もちろん日本語のテープもあるので、事前知識が全くなくても十分堪能することが出来る。

 
こうして島の構造や雰囲気を理解したところで、ショーン・コネリーとニコラス・ケイジ共演の「ザ・ロック」を見るとこれまた新たな発見があって面白い。どうでもいいことだが私が特定の映画を異常に好きになるのにはこういった特別な思い入れがあることが多いのだが、どうなんだろう、そういった経験は誰にでもあるのではないだろうか。

 

 

市内観光 #2

さてさて、アルカトラズ島から戻ってきたフィッシャーマンズワーフでは、よく晴れた週末ということもあり、市場も賑わっていて、観光客も多く、そして何より大勢のの大道芸人がそれぞれ思い思いのの芸を披露していた。
そのうちのひとり、例えば右写真の彼は、後ろの電柱と同化していて全く動く気配が無い。と思ったら、チップを入れると一緒に写真を撮ってくれるのだが、全く動かない彼も、一旦カメラを構えると、シューシュー、ジャキンジャキンと口で効果音を鳴らしながらVサインなんかしちゃったりするのだ。

帰り、初日に並んだケーブルカー乗り場はその日以上に猛烈に混んでいたので、まだ昼下がりということもあり、強烈な坂を歩いて上ってみることにした。傾斜は10%をゆうに超えていたのではないだろうか。ん〜どうでもいいがシスコの坂と言えば、「ダーティハリー」シリーズを思い出すなぁ。。。

途中でお店に寄ったりして、休憩をはさみつつもその強烈な上り坂をヒーヒー言いながら一所懸命に歩いていると、轟音とともにケーブルカーが、これまた一所懸命登ってくる。そしてその勇姿を撮るべくカメラを向けると、乗務員も客もみんなが何かとリアクションをしてくれるので、こちらも何だかとてもいい気分になってしまう。
しかしまぁ、当然だがやはり、歩きよりかはケーブルカーのほうがラクなのだが。。。だが、実は歩きを選んだ目的はもう一つあったのだ。

 

 

サンフランシスコ名物のジグザグ坂だ。街のどの坂も直線なのに対し、何故かここだけはジグザグ坂になっている。そして腕試しにと、次から次へと車が絶え間なくやってくる。そして歩行者は道の両端にある階段を、これまた次から次へと昇り降りする。我々はここを降りるべく、歩いてやってきたのである。
じーぐざーぐじーぐざーぐ。しかしまぁ、よくやるなぁ。事故だけは起こさないようにしてほしいところだが。

しっかし、本当にサンフランシスコは坂の街なんだなぁと、つくづく実感した3日間であった。
そして男2人旅は次の目的地、ロサンゼルスへと続くのである。

 

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