>> 沖縄到着、そして試練 <<

〜大丈夫。すべてはきっと、うまくいく。〜



ついにこの日が現実のものとなった。

2008年11月7日(金)。

8年の月日を超え、再び沖縄へと向かうのである。



なお翌土曜日には189kmサイクリングを走破し、その翌日は50kmレースが待ち構えている。

そしてそのいずれもが朝4時40分起床というハードスケジュール。
しかしそれも、念願叶った今の自分にとってはさほど問題ではない。





04:40 起床。朝食を軽く済ませ、着替えをし、身支度をする。


05:30 出発。


浜松町駅からモノレールに乗り換え、空港へと向かう。
さすが平日ということもあり、モノレールのホームには自分たち行楽客のほか、スーツ姿のビジネスマンの姿も数多く見受けられた。早朝から飛行機に乗っての出張なのだろう。


06:50 空港到着。早朝にも関わらず、出発フロアは多くの人々でごったがえしていた。


その手元の荷物や格好から察するに、自分たちと同じツール・ド・おきなわ参戦者のほか、早くも北国でスノーボードを楽しもうという人の姿もあった。

思えば8年前の出発時はここまで混雑していなかったのは、それが木曜日の出発であり、そしてその頃はまだ“格安航空券”が浸透していなかったためだろう。聞くところによると、例え値段を下げてでも満席かそれに近い状態で飛行機を飛ばしたほうが利益が出るとのこと。今回はそういった背景があるのかもしれない。


07:10 荷物を預け、出発までの時間を空港探索をして過ごす。が、少し小腹が空いたので朝食を軽く取ることに。



07:40 搭乗が始まる。



多くの人が搭乗口に詰め寄せるが、早く乗ろうと席は決まっているし、出発時間は変わらない。 人の列が減るまでしばし待つ。


07:55 いよいよ出発。小雨まじりのあいにくの天候だが、定刻通りの出発だ。








空の旅路は2時間30分程度と短く、席は狭かったがアイマスクと耳栓と眠気のおかげで、そのほとんどを寝て過ごす。


10:30 那覇空港到着。前回のように、悪天候で飛行機が引き返すという事も無く、無事に到着した。



天候は晴れ、気温は28度。
少し肌寒かった東京、そして高高度ゆえやはり肌寒かった機内を出て空港に降り立った途端、肌で感じる高い気温、暑い日差し、湿度、そして常夏の空。


懐かしい…。

8年の月日を経て、あの時の第一歩の記憶が蘇る。
そして今再び、こうして同じ場所に戻って来れた事に感謝の念を抱くばかりであった。


10:45 荷物と自転車を回収。



10:55 モノレール「ゆいレール」のホームへと向かう。




8年前は建設中だったため、空港で自転車を組み、それに乗って首里城へ観光に向かったが、今回はせっかくなのでこのゆいレールを利用してみることにした。価格も決して高くなく、また目的地がちょうど終点なので好都合であったのもその選択の理由でもある。


高い気温、澄み切った青空、8年前の記憶…自然と溢れる笑みを浮かべつつも、乗車中に気になるのは、その車窓からの南国の景色だけではない。車内にも土地柄が分かる広告が多数あるのだが・・・




こ、これは…(笑)



11:40 首里駅到着。自転車を組む。




しかし…!




シフトチェンジに必要なワイヤーの断線、そしてスピードメーターの受信機の破損が発覚。
間違いなく飛行機で運搬中に破損したものだろう。
しかしまさかワイヤーが断線するとは…


一瞬、頭が真っ白になる。

しかしすぐに冷静になり、現在おかれた状況と、この打開策を懸命に考える。


■破損箇所は何か:シフトワイヤーとスピードメーター受信機の2箇所。

■現状のままで走行可能か:スピードメーターが無くてもさほど支障は無いが、シフトワイヤーがこのままでは、ギアチェンジができず一番重いギアでしか走れなくなる。

■今やるべき事は何か:自転車が走れなくなったわけではない。自転車屋を探し、シフトワイヤーを購入すればよい。

■タイムリミットは:遅くとも15時12分発の高速バスに乗りたい。




やるべきことは決まった。

まずは近くにいた人に最寄の自転車屋の場所を聞く。
が、返ってきた答えは期待通りのものではなかった。

ただ交番の場所は聞けたので、まずはそこに行き、そこで改めて自転車屋の場所を聞くことにした。
幸い、それはこれから向かおうとしている首里城の近くにあり、またその距離もここからさほど離れていないとのことだった。



12:00 大きな荷物を背負い、自転車をこぎ、交番に辿り着く。

さっそく最寄の自転車屋を聞く。
しかし、なかなかその場所が出てこない。警官が2人、3人…と集まり、最終的には5人集まって各自の記憶を呼び覚ましているようだった。

そして出た結論が、ここから道を3〜4km下った先にある、小さい店とのことだった。


…そのような店に果たして競技用自転車のワイヤーなど売っているだろうか。
しかもその場所は今いるこの、地理的に比較的高い位置から坂を下った先にある。そのため、もし引き返す事になったとしても、おそらく大きな荷物を背負った状態で、現状の一番重いギアで坂を登ることは難しいだろう。


だが選択の余地は無い。

…行くしかない。




自分のために尽力を注いでくれた警官たちにお礼を言い、また簡単な地図をもらい、交番を後にする。


12:10 目的地へ向かう途中に、ちょうど首里城があった。




はやる気持ちを抑え、前回と同じ守礼門を撮影。

そういえば前回はここでソーキそばを食べ、守礼門が描かれた弐千円札で支払ったっけ。
だが今回はその余裕は無さそうだ。



手短に撮影を済ませ…ちょうど観光案内所がある。
バス停について聞いてみよう。

聞きたかった事は、レース会場である名護行きのバス停が、自分がこれから向かおうとしている自転車屋を中心としてどこが一番近いのか?というものであった。

だが答えはやはり、当初の予定のいち選択肢であった「那覇バスターミナル」からというものであった。
すなわち…やはりタイムリミットは変わらず、15時12分。




道を下る。


快晴の南国の空の下、風を切り、颯爽と飛ばす一台の自転車。

しかしその心中は穏やかではない。。。


12:30 自転車屋に到着。


そこはどこにでもあるような、小さな自転車だった。
こんなところに競技用自転車のワイヤーなど売っているのだろうか…。

ダメもとで店に入り、自転車の症状を見せ、シフトワイヤーが売っているかを確認。
返ってきた答えは…


「ある」とのことだった。


これで万事が解決だ。
ワイヤーを400円で購入し、安堵する。これで「レース参加辞退」という最悪の自体回避が見込める。

ついでにスピードメーターについても聞いてみる。壊れた受信機部分だけを売っていないかを確認したところ、さすがにそれはここには無いが、別の場所にもう少し専門的な店があることを教わり、その場所を記憶する。


12:40 シフトワイヤー交換作業実施。


しかしなぜかうまくいかない。ワイヤーはギアチェンジ部分であるハンドルにしっかり固定されているハズなのに、ギアチェンジをしても手応えが全く無く、状況が全く改善していないのだ。


ワイヤーの種類が違うのか…?

そんな考えも抱きつつも、なぜか店員に聞くことはせず、先ほど教わった店へ向かっていった。


12:50 店到着。しかし


「ツールド沖縄のため閉店いたします」の貼り紙に愕然。

念のため書かれている電話番号にかけてみるが、当然誰も出ない。


携帯電話の検索で他の店を調べる?
インターネットカフェを探して、他の店を調べる??
知人に電話をして、調べてもらう???
大きなデパートなどを探して、そこの自転車屋に直してもらう????


頭が回らない。


この一番重いギアで、せめてサイクリングだけでも無理矢理参加する?????
どうせレースの日は美ら海水族館にも行くつもりだから、レースは諦めて終日水族館にいればいい??????



様々な事を考えながらも、目の前の大通りに沿って自転車をこぐ。


目的地が定まらないままに。




13:10 気付けば繁華街・国際通り入口に到着していた。


考えてみれば、最初に訪れた自転車屋が位置するのは、この国際通りの出口側にあったな。。。
その事を思い出し、修学旅行生らで賑わう通りを突き抜ける。


思えば前回のレース終了後に充てた1日の観光では、あまりやる事が無くてここのゲームセンターで時間を費やしたり、お店に入ってゴーヤチャンプルやいろいろな沖縄料理を食べたっけ。

ただ不幸中の幸いなのか、今住んでいる自宅の近くに沖縄料理屋があり、その大部分の料理はすでに食べたから、今回の旅から「沖縄料理を食べ尽くす」という目的は削られても大丈夫そうだ。


そのような事を考えつつ、およそ2kmの道を突き進む。



13:20 再び自転車屋到着。早速症状を見てもらうものの、変な食い込み方をしてしまっており、ここの店では部品的・技術的両面から修理は不可能との結論となった。
焦りから、きちんとワイヤーが噛み合わずにセッティングをしてしまったのだろうか。

度重なる絶望。


しかし、もう一軒の専門店がある事を教わる。それは今来た国際通りを抜けた先にあり、店も恐らく休みではないはずとのこと。
そして何の因果か、奇しくもその場所は「那覇バスターミナル」のすぐ近くにあるとのことだった。


絶望が希望に変わる。
しかしこれが最後のチャンス。

祈るような思いで国際通りを戻り、店へ向かう。



教わった場所に近付くが、場所がよく分からない。
そこで再び交番のお世話に。

ドスの効いた、しかし元気が良く愛想も良い警官が正確な場所を教えてくれた。


13:50 店到着。その名は「ハシカワサイクル」。


中に入る。
競技用自転車がずらりと並ぶ。

助かった…
そう思った。


しかし、症状を見てもらったが、修理は不可能な状態との診断結果。
また、今となっては非常にレアな(古い)部品“8段変速”で組んでいるため、現在主流の部品“10段変速”とは互換性が無く買い替える事も不可能。
かと言って主流の部品だけで構成し直すとしたら、それこそ安い自転車が買えるくらいの金額になり、またそれを組む時間も、早くて半日は掛かるだろう。。。

そこで、レース会場に来ている出張メカニックたちの技術に望みを託す事を推される。


バスの時間が迫る。
残された時間は、もうあまり無い。


しかし店主は何かを思い出したかのように古い部品箱を漁り始める。

少し待たされたのち、店主個人の古い交換部品を渡される。それはワイヤーが食い込んで使い物にならないハンドル、そのハンドルそのものだ。
グレードは自分の“600 / ULTEGRA”よりも1段階劣る“105”であったが、8段変速への互換性は完璧。
しかも自分で交換するのであれば代金は不要とのこと。

地獄に仏とはまさしくこの事か。

無論、ふたつ返事で作業に取り掛かる。



バーテープを剥がし、部品を交換し、位置を調整し、六角レンチでネジを締めて固定し、再びバーテープを巻き付ける。
黙々と作業すること数十分。途中から店主がその調整に加わり、レースの話や私生活の話をしつつ、徐々に自転車が組まれてゆく。
その感覚はまるで、店主に弟子入りした新米店員のようだった。


14:30 作業完了。



最後に微調整をしていただき、ついに元の快適な環境がここに復活!

しかも以前のパーツはシフトチェンジのレバーが半分折れてしまっていたのだが、交換したハンドルはこの部分も一体となっているため、レバーまでもが完璧な状態となって戻ってきたのだ。


交換の時点から、代金は不要と言われていた。だが全てを無料で、と甘えきるのは自分が許せなかった。
そこで工賃としての代金:それでも破格の1,000円を受け取っていただき、お礼を言って、店を後にする。




14:40 ようやく昼食をとる。


沖縄グルメのひとつ、ソーキそばを急いで食べ、



ご当地ジュースを買い、バス停へと向かう。



15:05 那覇バスターミナル到着。


まだ時間は少しある。何とか間に合ったようだ。
完全復活、いやそれ以上の復活を果たした自転車を再びバラし、輪行袋に詰め、バスが来るのを待つ。




15:12 乗車を予定していた高速バスに間に合い、混み合ったバスに乗り込み、着席する。


気分は安堵の気持ちで一杯だった。




16:00 高速道路移動中、大雨に遭遇。

やはり現地の天候が心配になったが、「晴れる!」と心から信じた過去の出来事は全て晴れるか、それに準じた天候になった経験を信じ、心を落ち着かせる。
予想外の自転車破損からの復活劇を遂げた経験をしたばかりの自分にとって、天候の回復を信じることはもはや造作もない事だった。


17:00 レース会場・名護市役所前到着。


信じてたとは言え、雨上がり後の透き通った大気、沈みつつある夕日に感謝をする。


そして10分後、終点である名護バスターミナルに到着。


那覇とは正反対の、何も無い、ガランとしたバスターミナル。
しかし頭の中は湧き上がる8年前の記憶と、復活した自転車と、そして明日以降のレースの事で一杯だった。



自転車を組み、ホテルへと移動する。


その途中、レース開催による道路封鎖の案内板を目にした。

自分たちが安心してレースに集中できるのも、こういった影の努力の賜物なのだな。。。
どんな事があっても、それは忘れてはならない事だ。



17:20 ホテル到着。



チェックインを済ませ、部屋に入る。
劇的な一日を過ごしてきたが、こうやって落ち着ける空間に辿り着けた安心感は何よりも変え難い。








雨上がりの後、すぐにやってくる夕焼け、そして夜。



そうだ、あまりここで安堵しているわけにもいかない。
名護市役所前にある市民会館に行き、189kmサイクリングと50kmレースのエントリーをしなければ。


18:00 エントリー会場に着く。


参加者が続々と集まる。

この中で自分ほど劇的な一日を過ごした者はいるまい。
だが…あんな思いは自分だけで十分だ。みんな無事で終われば、、、それでいい。






無事エントリーを済ませ、2種目のナンバーカード、プログラム、そして参加賞として沖縄民芸品を受け取る。





19:00 サイクリング部門の説明会が始まる。


今年20回を迎えた本大会にかける意気込みや思い入れが語られ、またそれを支えるボランティアの紹介がなされる。
そしてそのボランティア代表からサイクリングのコースや注意点の説明がなされ、最後に質疑応答がされたのだが、、、

そこで繰り広げられる一部の参加者の高圧的な態度、自己中心的なやりとり。

偽善的に、盲目的に感謝の念を抱く必要は無い。
だが、自分たちが安心して参加できる理由の根底にあるものをもう少しだけ彼らに考えてもらえれば…



とは言え大きな混乱も無く、無事説明会も終了した。


ホテルに戻る前に、出張メンテナンスに来ているメカニックの方に、例の部品を診てもらった。


しかし…やはり答えは同じ。古いタイプのため今ある工具では直せないとのことだった。
ただすでに自転車は完璧な状態にある。ここで無理強いをして彼らに余計な手間を取らせるわけにもいかない。

とりあえずこの部品に関してはレースが終わってから、地元の専門店に行って直してもらおう。




20:00 ホテルに戻り、晩御飯を食べる。



部屋に戻り、自転車の準備を行なう。
サイクリング仕様にセッティングし、スピナッチを取り付ける。





風呂に入り、この激動を振り返りつつも、その長旅の疲れを癒し、一日が終わる。









「スラムダンク勝利学」(集英社インターナショナル、辻 秀一:著)という本に、こんな一文がある。


結末はハッピーエンドになる事が分かっているのだから、例えその間に何があっても堂々とこう言えるのだ。



大丈夫”と。






大丈夫。すべてはきっと、うまくいく。

 

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