>> 2012五島長崎国際トライアスロン大会 <<

〜 プロローグ 〜


きっかけは、2枚の写真



「死ぬまでにロングディスタンス トライアスロンを完走する。」
このフレーズを口にするようになったのは、いつの頃からだろうか。

トライアスロンという競技を始めたきっかけはよく覚えていない。ただ、ロングディスタンス トライアスロンに夢を思い描くようになったきっかけは間違い無く、トライアスロン専門誌に掲載されていた2枚の写真にあった。


■夜のゴール地点で家族を連れて、手を繋いで笑顔でゴールする選手の写真。
■一人、ゴールテープを頭上に高々と挙げて喜びを爆発させている選手の写真。


これが目に、いや脳裏に焼き付き、憧れと羨望を想い描いた13年前…それは大学の自転車競技部に所属するかたわら、独りトライアスロンに挑み始めた頃に遭遇した強烈な出逢いだった。
その時はロングはもちろん、一般的な距離である51.5km ― SWIM:1.5km、BIKE:40km、RUN:10kmすらマトモに走ったことが無いような時期だったから単なる夢物語に過ぎなかったのだが、なぜかその後もあの時に感じたハートの昂(たかぶ)りを忘れることは無かった。


大学卒業後、それを実現させるどころかむしろ身体を動かすこと自体から遠のく日々が続いたが、最初の出逢いから6年後の2005年、ホノルルマラソン完走を目指し始めた頃から少しずつ、少しずつこれに近付けるようになっていった。

そして2010年。足掛け11年の時を経てついに宮古島大会でロングディスタンスレースを完走し、夢を果たすこととなる。
想い描いていたあの「頭上で高々とゴールテープを挙げる姿」をこの手で実現し、夢を叶え、ひとつの終止符を打った。





…はずだった。

ライフワークと言っては過言だろうか。
しかし、それくらいの想いとなって膨らみ、そして挑み続けてきたレースの完走。あの時の喜び、達成感、幸福感は今でも鮮明に思い出すことができる。でも…この“物足りなさ”のような、どこかまだやり遂げていないキモチのもどかしさはいったい何なのだろう?




“226.2km”



宮古島ロングディスタンス トライアスロン。SWIM:3km、BIKE:155km、RUN:42.195km。総距離200.195kmは間違い無く「ロングディスタンス」のカテゴリに属するレースだ。
だが、当時の自分が描いていた、いや、思い込んでいたロングディスタンスのそれはSWIM:3.8km、BIKE:180km、RUN:42.195kmという長さで、かつこれらの長距離レースを総称して「アイアンマン・トライアスロン」と呼ぶのだと思っていた。

のちに「アイアンマン」とは世界各地で開催されているロングディスタンスレースのタイトル(冠)のひとつだと知ることになるが、ロングディスタンスレースの中でも距離が短く、穏やかな気候の季節に開催される宮古島大会はいつしか、ロングを目指す者たちへの“入門的な大会”という位置付けが、心のどこかに出来ていたらしい。

もちろん宮古島の完走は自分にとっての偉業に違いない。周囲の人たちも同じ反応を示す。だが、それを偉業だと思えば思うほどに、「アイアンマン」への想いは、距離への想いはより強くなっていった。



日本で現在開催されているロングディスタンスレースは「沖縄・宮古島」、「長崎・五島列島」、「鳥取・皆生」そして「新潟・佐渡島」の4大会。このうち、アイアンマンに相当する距離が開催されているのは長崎と佐渡。



特に長崎は「アイアンマン・ジャパン」として2009年まで開催されていたため、これが自分にとっての目標だったのだが、残念ながら2010年、口蹄疫という疫病の蔓延の影響で中止となり、それ以後は大人の事情なのか、「アイアンマン」の冠が付くロングディスタンスレースは日本では開催されなくなってしまった。





しかし長崎でのレース自体は、2011年から「五島長崎 国際トライアスロン大会“バラモンキング”」として名称が変わりながらも引き継がれ、しかも自分の目指す距離 ― SWIM:3.8km、BIKE:180.2km、RUN:42.2km…アイアンマンディスタンスと呼ばれる226.2kmの総距離も変更無く継続、かつコースもアイアンマンとほぼ同じく、アップダウンのきついBIKEコースが健在な設定とあって、自分にとっては何ら問題の無い環境にあった。

いや、むしろそのキツいBIKEコースしかも6月ゆえの雨天でのレースに対し、決して消えることの無い不安要素で一杯だったのだけれども。

ただ、初のロングディスタンスレースだった宮古島大会とは異なり今回はロング2レース目。最も気を配るペース配分についてもその経験のおかげでおおよそのイメージができ、それを想定したトレーニングも重ねることができた。

だから完走への正直な感触としては完走は五分五分だったものの、BIKEさえクリアすればきっと何とかなるだろうという期待を併せ持つことができたし、何よりもレースわずか数ヶ月前で怪我に見舞われた宮古島の時と違って今回は怪我も無く、少なくともあの時よりは練習できたという実績による僅かな自信も抱くことができた。

そして。
今回は今まで単独で参加していたレースと大きく異なり、数年前から付き合い始めたカノジョさんと一緒に行けることになった。




2つの目標



実はこの半年ほど前、そのカノジョさんと結婚しようと決めて婚姻届を書いたまでは良いものの、肝心の提出のきっかけやゴロ合わせなどの日付が無いまま半年間、ダラダラと引き延ばしてしまっていた。

そんな状況を完結させるべく、今回のレースが終わったら現地の市役所に届けに行こうと話をしていたのだが、それをさらに後押しする大ニュースが舞い込む。
それは、レース3週間前に分かった妊娠の知らせだった。カミサマが「いい加減にくっ付きなさい」と、背中を押してくれたのかもしれない。それとも子どもが「早く産まれさせてくれ」と出てきてくれたのだろうか。





思い返せば、2008年の頃から「男だったら克利(かつとし)という名前にしよう」と決めていたから意外にも妊娠そのものに動揺はさほど無かった。むしろ心は早くもその子に向けた“パパのカッコイイ昔のエピソード”を残すこと、そしてそのために無事完走して結婚して、カノジョさんを安心させることのほうに向いていた。

だからそのためにも、今回のレースは何としてでも完走したい。


レースを完走して、当日のうちに婚姻届を出す。

いつもとは違った、そしていつもにも増して強まるレースへの想い。



時に、男35歳。

13年来の夢を実現させる闘いはこうして幕を開けるのである。



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