>> 宮古島ロングディスタンス トライアスロン <<

〜 宮古島入り / 生涯を賭した目標へ立つべくは、そのスタートライン 〜



ドーン!
ドンドン、ドーン!

頭上で花火が鳴る。
制限時間1時間前を知らせる花火だ。
それと同時に、ゴール地点である陸上競技場へと入ってゆく。

島中から集まってきたと言っても過言ではないほどの、大勢の観客に出迎えられ、祝福され、人の波をかき分けるように中へと入ってゆく。
それまでの暗闇から一気に光と音の世界へとなだれ込み、400メートルトラックを走る。
まさしく、ウイニングラン。


「最終コーナーを曲がって来たのは、真っ赤なウェアのゼッケン518番の選手!おかえりなさ〜〜い!!」

アナウンスに応え、手を振り、ゴールゲートへと向かってゆく。
これをくぐることを、長年夢見てきた。

最後の瞬間が近づく。
ゴールでは果たして、自分は泣くのだろうか。




思い返せば、、、長い道のりだった。
出場権を獲得し、鼻息荒く冬の練習に明け暮れ、しかし練習のしすぎにより患ってしまった、ヒザ裏の怪我。
十分に練習が出来ず、完治しないままに迎えた当日。

完走出来るかどうかは正直、自信が持てなかった。
そんな自分がまさか、ここまでやり遂げられるとは思ってもいなかった。。。




掴み取った出場権、予期せぬ怪我



生涯目標。
そんな言葉を使うようになったのは、いつの頃からだろう。

「死ぬまでにロングディスタンストライアスロンを完走する。」

SWIM:3.8km
BIKE:180km
RUN :42.195km


夢を持つことは悪いことではない。
最初にこの競技を知り、そしていつかは自分も…と思ったのはもう、今から11年も前のことだ。
むろんその頃は「無いものねだり」に過ぎず、トライアスロンはおろか、フルマラソンすら走ったことが無いレベルだった。

一度は競技そのものを辞めたが、ふとした事から再開した4年前。
その頃はトータル30kmにも満たないレースで精一杯だったが、地道な練習を重ね、その後51.5kmレースの完走、105kmレースの完走と…
ひとつひとつ積み重ねていく事が出来ていった。


そして2009年末、これまでの実績が実を結んだのか、宮古島大会の出場権をついに獲得することとなる。

時に男、33歳。





国内4大ロングディスタンス(長距離)トライアスロン大会、すなわち「長崎・五島列島」「鳥取・皆生」「新潟・佐渡ヶ島」そして「沖縄・宮古島」。

各レースでの総合距離は微妙に異なるが、そのそれぞれに気温やコースそのものの難易度といった特徴がある。
そんな中でも宮古島で開催されるこのレースは、距離も他と比べて比較的短く、また南国での4月開催とあって気温も暑過ぎず寒過ぎず、申し分無い。
とは言え、、、

SWIM:3km
BIKE:155km
RUN :42.195km

総合200kmを生半可な姿勢では到底、これを達成することは出来ない。


しかし、昨年の佐渡ヶ島大会で得た高いモチベーションのお陰でその年の秋は、この距離に匹敵する練習量をこなすことが出来た。
そして出場権を獲得した冬、
普段は練習をしない冬、
寒さに凍えながらも、長年の夢を叶えるために練習を重ねていった。


だが。

2010年1月下旬。
前から兆候はあったが、その痛みが顕著に表れるようになってしまった。

右ヒザ裏に違和感、そして痛み。
立っているだけで神経がピリピリと伝達し、少し走るだけでも辛い痛み。

こんな感覚、初めてだ。。。

ワラにもすがる思いで受けたMRI検査結果は…手術の必要は無いが、やはり練習のし過ぎによるものが原因にあったらしい。
だが治療法は結局、時間を掛けて安静にしているというもの。

しかし自分にはそんな時間は無い。
週2回での医者通いで、リハビリ体操、レーザー照射、ヒアルロン酸の注射を続け、、、

3月に入る頃にはある程度、動くことができるようにまでなっていった。


しかし、残り1ヶ月を切って、今から出来ることはたかが知れている。
練習量もかなり減ってしまった。

願わくば、昨年秋の狂気じみたトレーニングの体力がまだ“残って”いてくれること。
それに願いを託すしかない。


じたばたしない。


すべてがきっと、うまくいくことを信じて。




完治の願い叶わぬまま迎えた出発の日



レースを間近に控え、重ねてきた練習量はたかが知れている。
今年に入って練習した距離のトータルは・・・

それを全部合計すれば辛うじて今大会の距離を上回る程度。。。


が、そんな事より今となって大事なのは、無事に自転車を現地に届け、レース準備をし、スタートラインに立つことだ。

思えば2年前の自転車レース「ツール・ド・おきなわ2008」では、飛行機に乗せた自転車のシフトワイヤーとスピードメーター受信機が破損していた。
今回はそれを何としてでも避けなければならない。

いろいろ選択肢はあったが、結局ハードケースを購入し、佐川急便で現地の宿まで往復とも送ることに落ち着いた。
大会特別割引が適用されても片道5,500円は高かったが、目標としているレースに不測の事態が起きて棒に振ることを考えれば安いモノ。





ソフトケースは普段から使用頻度が比較的高かったのだが、ハードケースは自転車をかなり分解しなければ収めることができない。
そこでインターネットで調べながら、、、



厳重に梱包して無事収め、佐川急便に依頼。
現地での再会まで、しばしのお別れ。


そして迎えた当日。






07:00 羽田空港到着。

今回も2年前の「ツール・ド・おきなわ」同様、浜松町からモノレールを利用してのアクセス。
にしてもこんなに朝も早くから、ビジネスマンが足早に乗り場に急ぐ姿はさすが、平日の朝といったところか。


空港ターミナルはさすがに行楽客の姿が目立つ。
そして目的地を同じくするであろう、自転車を担いだ人の姿もちらほら。

…レースへの実感を少し、味わう。



手荷物を預け、時間を待つ。

…なんか緊張している。
何だろう?

「手荷物はちゃんと宮古島まで届くだろうか」という心配?それとも「ちゃんと乗り継げるだろうか」?

…さぁ、、、どうだろうか。
もう預けてしまったんだから、自分ではもう、どうしようもない事。
乗り継ぎだって、数年前のメキシコ旅行の時にヒューストンで無事出来たじゃないか。


じたばたしない。





07:55 搭乗が始まった。



予定では08:15発、10:55那覇着、12:15那覇発、13:05宮古島着。



搭乗の長蛇の列に並んだところで、席が埋まるわけじゃなし。

気持ちに余裕を持たせて…
行ってみようか。








11:15 那覇到着。



機内ではなぜか異様な眠気に襲われ、恒例の雲海撮影をすることもなく、気付いたら那覇に着いていた。
フライトは予定より20分遅れだが、宮古島までの乗り継ぎ便がまだ1時間後の出発なので無問題。


天候は曇り。気温は19度。
暑くはないが湿度が高い。
ちょうど梅雨の時期のような、そんな感覚。




ってか、人の波に流れて一度外に出てしまった。(笑)
まぁすぐに戻れたけど。小さい空港でよかった。



11:45 出発までの待ち時間を利用して、ソーキそばを食べる。



家の近くに沖縄料理屋があるし、定番メニューのひとつでもあるので、ありがたみはさほど無し。
とりあえずは、沖縄の領土内で食べる事に意義がある。(笑)


っと、宮古島行きの飛行機も10分遅れの出発とのこと。

思えば飛行機予約争奪戦、当初は遅い便しか取れなかったが、その後のキャンセル待ちで早めの便が確保できた。
おかげで今回のような多少の遅れでも動揺することが無いぶん、ホント良かった。




さて、それはそうと体調。
会社で軽い風邪が流行っていたんだけど、実は自分も数日前から若干怪しかったり。
頭がボーッとして、ソーキそばを食べたら額に汗がダラダラ。

さて。




ひとつの出会い、ふたつの再会



その後しばらくして搭乗が始まる。




テンションはいよいよもって上がる一方、体調も悪化する一方。
客室乗務員のおねーさんに風邪薬とノド飴をもらい、レース当日までの完治に願いを託す。


那覇から宮古島行きの飛行機、その乗客のほぼ100%がおそらくはレース関係者だろう。
何しろ自分は今回が始めてのロングディスタンスレース。
そこで、隣の席のオッサンに話し掛け、少しでも情報収集。

だがこれが想像以上の出会いになるとは思いもしなかった。
御歳、59歳にしてロングディスタンスレース完走はもとより、世界最高峰のレース「アイアンマン・ハワイ」も数回出場、そして完走しているとのこと!

アイアンマン・ハワイと言えばそれこそトライアスロンの甲子園のようなもので、日本人が参加するには毎年6月に長崎で開催される「アイアンマン・ジャパン」の年代別上位に食い込む必要がある。
しかも上位2〜3名という、果てしなく狭き門。

そんな、今の自分にとって雲の上のような世界が、経験者が現実にすぐ隣の席にいる。


俺は、運がいい。





興奮冷めやまぬまま、1時間に満たないあっという間のフライトが終わる。





13:20 宮古島到着。

初めての土地、初めてのロングディスタンスレース。
天候は曇り、気温は20度。





荷物を回収し、空港をダラダラと探索。






テンションが上がる。




最終走者のゴールシーン。願わくば自分こそがこの場で。。。







などとやっていたら、選手登録会場行きのバスに乗り遅れてしまった。(汗)
仕方なくタクシーで会場へ。





910円の出費は、陽気な運ちゃんとのマンツーマン会話代ってコトでよしとするか。(笑)




14:00 会場到着。



今回も様々なブースの出店が並んでいる。

そしてPowerBarブースで懐かしい方との再会を果たす。



それは、去年参加した佐渡ヶ島トライアスロンツアーの運転手をしてくれた方だった。
去年はロングディスタンスの約半分のレース「ミドルディスタンス部門」に対するツアーのみだったが、聞くところによると今年はロングもツアーを催す予定とのこと。
当然、その参加も促されたが、それよりもまずは宮古島の完走をしないと。(汗)


加えて、実に5年ぶりの再会となる、とある人物。
それは、H.I.S.ホノルルマラソンツアーでの参加者サポートをしてくれた方。現在、プロトライアスロンチーム「湘南ベルマーレ」のコーチをしている方でもある。

「ロングディスタンス トライアスロンを目指すには、まずはフルマラソンが走れなければならない。」

そんな動機から初フルマラソンの舞台に選んだホノルルマラソン。
あれから5年。奇しくもそのときにサポートしてくれたコーチが、自分の目指す道の先にいた。

挨拶ができて嬉しかった人物のひとり。



その恩、その喜び、そして積み重ねてきた5年間。これを実りある成果にするためにも、今回はやはり、完走したい。

完治しない怪我、おまけに風邪までひいてしまった不安な現状。
それでもポジティブでいたい自分にとって、これは何とも言えないありがたさがあった。




会場に入る。




開会式までは、まだ時間がある。
だが選手登録は早めに済ませておくにこした事はない。



今回の選手登録の証、手首のバンド。
いったん巻くと、レース終了まで外すことができない。

レース参加への実感、スタートラインへの距離の縮まりをまたひとつ、実感する。





会場を出た正面に位置する陸上競技場。



そのゴールアーチ真正面に立つ。


あさっては必ずここをくぐり抜ける!

だから今はくぐり抜けない!
ここをくぐるのは、200.195kmを走りきった時だけだ。。。


願いを込め、その場を去る。





宮古テレビも準備万端。
どうやら、レース当日は開始から終了まで丸一日、生中継で放送するらしい。

果たして自分はそこに、勇姿を見せることができるだろうか。




街も準備万端。




14:40 宿に到着。




こ、これは。。。(汗)


「ペンション」の名にふさわしくないその面立ちに唖然とするが、それよりもやはり心配だった自転車。
けど、ひとまずの無事到着は確認できた。

一息ついたら(おそるおそる)組み立てることにしよう。




レース準備



自転車を送る前、練習で一度梱包してさらに組み立てをした経験もあったおかげか、比較的スムーズにこれを完成させることができた。



もちろん心配の種であった破損も今のところ、特に目立ったところは無いようだ。
そこで試走を兼ねて、近くの薬局まで自転車を飛ばす。

南国の空、湿った空気、若干の風。
Tシャツ&半ズボンで過ごせるような陽気を想像していたが、実際はやはりまだ4月。そこまでステレオタイプ的な気候ではまだ無いらしい。





薬局に到着し、症状を、そしてあさってのレース参加を伝え、即効性のある薬を選んでもらう。
一日も早く効いておくれよ。。。





宿に戻り、選手登録時に受け取ったグッズを確認する。
やはり目立つのは、、、



佐渡ヶ島のときも封入されていた、地元小学生の応援メッセージ。
しかしなぜにバイキンマン。(笑)





レース準備を済ます。
これできっと、おそらく、たぶん大丈夫…なはず。。。

不安は尽きない。
でも、でもきっと、大丈夫なはず。



拭いきれぬ不安 −開会式



18:40 開会式会場へと向かう。



会場までは宿からさほど離れていない。
レース当日は、体力ゼロで完走できたとしても辛うじて、きっと宿まで辿り着ける距離のはずだ。



その道を今日は逆に辿って到着した開会式会場には、先ほどとはうって変わって1,500人の超体力バカが集っていた。

自分も堂々とその一人であるはずなのだが、今回に限ってはどうしても怪我による練習不足の不安が拭いきれない。
おそらくこれはレース最後まで付きまとう不安だろう。。。


不安と期待、交錯する想い。
けど、良い意味でこの雰囲気にのまれ、流され、テンションは上がっていく。







いよいよ始まる、始まる。。。


※民族舞踊による「島唄」を撮影したデジカメ動画をご覧いただけます。
ダウンロードはこちらからどうぞ。(42.9MB)





長い長い前置きののち、乾杯の飲み物が振舞われ、



選手宣誓、そして




乾杯!!!!!!!





いっせいに群がる選手そしてその取り巻きや地元の人たち。



…ってかみんな食い意地凄まじすぎ!(笑)














仲間



20:30 開会式が終わり、宿に戻る。

するとそこには、アスリートがひとり。
そう、ここは一番安いプランで取った宿のため、3人相部屋なのだ。

聞くところによると、飛行機がなかなか取れず、開会式も出られずに今ようやく到着したとのこと。

歳も近く、また下の名前(苗字でなく名前)も同じ読みとあって軽く意気投合しつつ、情報交換。
彼はロングディスタンスは2回目で、前回はなんといきなり長崎アイアンマン・ジャパンを完走したのだという!

やはりあの大会は自転車コースが鬼門らしく、そのほとんどがアップダウンなのだそうだ。。。

彼自身は完走できはしたものの、制限時間が残り10分というギリギリな状況。
自転車は相当練習したが、RUNはほとんど歩いたとのことだ。


とすると…そこまでキツくない自転車コースである今大会は、ペース配分さえ間違わなければ、今の練習不足気味な自分にもひょっとして何とかなるんじゃないか…?!


少しずつ、前向きになる。


そんな頃合いに合流したもうひとりのアスリート。
歳は若く、トライアスロン部に所属する22歳の学生だ。

22歳と言えば、ちょうど自分がロングディスタンス トライアスロンに夢を馳せ始めていた頃。


夢を持ち、11年掛けてようやくその舞台に立った自分と、それをまさにこれから叶えんとする彼。
これも何かの縁だろうか。


情報交換をするうち、徐々にレースへの想いが充実していき、、、

完走への想いが少しずつ、しかし確実に固まっていく。。。



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