>> チチェンイツァーと最後の夜 <<



ついに!20年来の夢を叶える日がやってきた!!!


ツアー集合は朝8時にH.I.S.カンクン支店。そして支店までは自力で移動。
前日まではこれが不安でたまらなかったが、タクシーを何度か乗るうちにその不安も次第に解消されていった。

朝は早めの6時半頃に起き、朝食はホテル1階のレストランを利用しようと決めていた。
だがまだやっていなかった。

フロントで聞くと、どうやら7時からのオープンらしい。

いったん部屋に戻り、テレビを見たり荷物のチェックをしながら時間を潰す。
ていうか朝からすでに蒸し暑い。こりゃTシャツ一枚で行くべきか、それとも念のため一枚羽織っていくべきか。
少し迷ったが、半袖シャツを一枚羽織ることにした。

ちなみにTシャツは、前日に購入したアステカカレンダーTシャツを早速。

7時になり、再度レストランに向かう。




今度は無事に開いていた。バイキング形式だったので、全種類をw簡単に取る。
ちなみに料金は60ペソ。

店員のオバハンは英語があまり喋れないようで、それでも料理の種類やら飲み物やらを丁寧に教えてくれた。

食事を済ませ、料金を払い、部屋に戻ってトイレを済ませ、いよいよ出発。



ホテル近くでタクシーを拾い、H.I.S.カンクン支店へ。料金は20ペソ。やはりホテルゾーン以外は安いなぁ。

ちなみにタクシーの運ちゃんにも「To visit チチェン・イツァー is my dream for 20 years! And today my dream comes true. So now I'm very happy!」って、文法が合ってるかどうかも分からないまま中学生レベルなお決まりのセリフを言ったけど、うまく伝わったようで「へぇ〜、そりゃ凄い」っていう表情をしていた。たぶんあれは「20年間」という期間に対しての驚きの表情だったと思う。


で、降りる際「なんちゃらかんちゃらに着いたよセニョ〜ル」って巻き舌で言ってたのに笑いつつ、「Have a nice day!」って言ってくれたのでグラシャス!って答えてタクシーを降りた。





時間にはまだ少し早く、誰もいなく、そして支店自体も休業日なので誰もおらず。





そしてしばらく待っていると、大型バスがやってきた。そして金髪ガングロ系の…でも太めな(失礼)添乗員さんが降りてきて、無事に合流を果たせた。

バスに乗り込むと、参加者は結構いた。20〜30人くらい?

ていうか支店ピックアップは自分だけだったので、自分以外は皆ホテルゾーンの宿泊っぽいな。ちょっと羨ましい。w


ちなみに外は暑かったが、バスの中は少し寒かった。でも後部座席のほうは少し暑いらしく、自分だけわがままを言うわけにもいかないので、我慢することにした。Tシャツだけで来なくてよかった。


全員揃ったところで添乗員さんによる、久しぶりの日本語マシンガントーク。でも日本語自体が久しぶりだったし、それにいろいろ知らない事やメキシコの現状が聞けて面白かった。

例えば、、、

・ 家賃は安いが家はボロいという話
・ 家の屋上にタンクがあって、そこに買ってきた水を溜めて使う話
・ 車を個人売買したいときは、車に値段と連絡先電話番号を書いて広場に置いておくようなフリーマーケットがある話
・ スピード違反をしたときは罰金を払うのではなくワイロを渡して済ませてしまう話
・ 落し物をしたとき、このメキシコ人は「神様の贈り物」と捉えて持っていってしまうから、まず出てこないという話
・ 給料はかなり安いが、それなりにチップを貰っているという話
・ 給料日は月に2回あり、給料日明けのスーパーは日本の年末のアメ横ばりに混雑するという話
・ メキシコ人は祭りが大好きで、祭りの翌日はみんな酔っ払って仕事に来ないという話
・ 日本車が値段も安く性能も良いので好かれていて、タクシーはほとんどが日産車であるという話
・ テキーラを生産している地域はたくさんあるけど、「テキーラ」という商品名が付けられるのは一箇所だけという話
・ 背景にサボテンがあってデカい帽子(ソンブレロ)を被ったニイチャンが出てくるような、ステレオタイプ的な風景が見られるのはまた別の地方であるという話
・ タバスコはタバスコ州が発祥の地で、他にもハバネロのように辛い食べ物が豊富であるという話
・ とにかくメキシコ人は陽気だという話
・ マヤ人の顔が日本人に似ているという話
・ マヤ人がどこから来たか(アジア系説や宇宙人説(遺跡の壁画に、宇宙船を操縦しているような絵がある))という話
・ 遺跡の資料がとにかく乏しく、スペイン人に侵攻された時に破壊されたり燃やされたりし、中にはスペインのゴミ箱の中から資料が発見されたものもあるという話
・ 遺跡の名称は、あくまでもスペイン人が付けたものであって、マヤ人がどのように呼んでいたかは分からないという話

などなど。そしてこの添乗員さんも例外なく陽気な人だった。

 



目的地までは2時間ほど。
ジャングルを切り開いたデコボコ道なハイウェイをひたすら直進する。


途中、トイレ休憩を兼ねてお店に立ち寄る。ここでマトリックス風の格好良いサングラスが150ペソで売っていたので、ここで買い換える。



その後の時間はしばしのお休み時間ということで、仮眠をとってくれということだったが、自分はもうずっと興奮しっぱなしだったので、全く寝る事は無かった。なのでこの間はガイドブックで予習をしていた。

ちなみに添乗員さんは運転手とスペイン語でひたすら会話を続けていた。

そして暫くして「お休みのところすみませんが起きてくださ〜い」と声が掛かる。
どうやらマヤの街に入ったようだ。





マヤの建物の解説や民族衣装の解説を聞きながらも、夢の舞台が徐々に近づくのを感じる。




今日、この日のために自分は今まで生きてきた



そして…ついに到着。

夢の時間が始まる。。。。。。

 

 



まずは入り口で入場手続き。渡された紙テープを腕に巻く。これが入場の印らしい。
入り口の雰囲気からして、遺跡とは言え完全に観光地化されているんだなと感じた。


そして5〜10分のトイレ休憩。





それからマヤの象形文字で今日の日付を表した暦カレンダー?の紹介。お値段は240ペソ。

今注文をしておけば、帰るまでに作って渡してくれるとのこと。もちろん購入は任意だが、何となく欲しかったので、自分の誕生日で作ってもらうことにした。

ていうか早く行こうよ!w





そしていよいよ一行が進む。


雨季とは言え澄み切った青空の下、猛暑のジャングルを抜けて見えてきたのは…!!!!!






カスティーーーーーーリョ!!!!

 

 

…20年。。。

20年間、この日が来るのを夢見ていた!

 


カスティーリョは何事も無かったかのように、堂々とした姿で構えていた。

そして多くの観光客。そう、べつに特別視する事は無かった。いつ行ってもよかったんだ。
でもその機会を、自分の思い込みで自ら難しいものにしてしまっていただけだったんだ。

…でも、その熱い思いがあったからこそ、カスティーリョがこんなにも感動的な建造物に見えるのも確かなのだ。。。


 

興奮冷め止まぬまま辺りを見渡すと、、、あるあるある!!!




球戯場!





ジャガーの神殿!!





ジャガーと鷹の台座!!!





ツォンパントリ!!!!





そして 戦士の神殿!!!!!!!!!




というわけで、この一帯をデジカメ動画で撮ってみました。
よろしければ
こちらをクリックしてダウンロードしてみてください。(10.4MB)



とにかく走り回って喜びを爆発させたかったけど、まぁそこは落ち着いて、せっかくの日本語解説を聞こうじゃありませんか。テオティワカンではあまり分からなかった英語解説だったけど、ここはせっかくの日本語解説だからね。



マヤ人は高度な星の知識を持っていたらしく、その観測精度はNASAに匹敵するらしい。
そしてカスティーリョは巨大なカレンダーなのだという。





4方向それぞれにある階段の段数はそれぞれ91。4×91=364。
そして最上段の一段を合わせた合計が365。

また、それぞれの階層も月の数を示しているとのことだ。





またカスティーリョの建つ位置や角度も全て計算済み。
階段の一番下にはククルカンという、ヘビの頭が彫刻されているのだが、春分の日の夕方と秋分の日の夕方だけ、9層の段の影がちょうどヘビの胴体のようになり、頭と繋がるという光景が見られるとのこと。(実際は秋分の日は雨季なので、夕方に陽が差す確率は低い。)



そして!実はこの前日が秋分の日そのものだったという。

ただ、これを観たいと思う人はもちろん大勢いるわけで、添乗員さんにその様子を撮った写真を見せてもらったのだが、やはり大混雑。
だから逆にこの日を外せたのもある意味運が良かったと言えるかもしれない。



加えて、ある意味では運が良かった…?と言えば、自分が訪れたこの2006年の1月に、不幸にもカスティーリョから転落して死亡する事故が起きてしまった。




確かに階段は45度もある急勾配で手すりも無く、以前から危険だという声は挙がっていたようだが、この事故を機に登る事を禁止されてしまったのだ。
だけど、そのお陰で人が写っていない写真を撮ることも出来たという見方をすれば、これも運が良かったと捉えられるかもしれない。


また、カスティーリョに登れない代わりに旧チチェンにあるカラコル(展望台)のすぐ近くまで行けるようになったとのこと。
もちろんカスティーリョに登れなかったのはかなり残念だけど、まぁ…将来再び解禁されるかもしれないし…。



ちなみにチチェン・イツァーには新チチェンと旧チチェンと分かれている。それぞれ6世紀と10世紀頃に繁栄した2つの時代の遺跡が一度に見られるのだ。

そして日本語解説があるのは新チチェンであるカスティーリョ、ジャガーの神殿、球戯場、ツォンパントリ、金星の台座、生贄の泉セノテまでで、戦士の神殿とそれ以外の旧チチェンは自由行動内での観光ということだった。



一行はカスティーリョから金星の台座、ジャガーの神殿と解説を聞きつつ進み、球戯場へと至る。





球戯場は文字通り、ボールを使った競技をする施設で、ここではゴムボールをゴールである輪の中に入れる(メチャメチャ小さい!)ことで勝敗を競うゲームだったようだが、




この時、勝ったチームのキャプテンは負けたチームのキャプテンに首を切られるのだという。

この壁画は球戯場内に彫られたものだが、斬られた首からほとばしる血が7匹の蛇となり、しかもその先端からは植物が芽を出そうとしているとのことだ。

勝ったのに生贄にされてしまうの?と思ったが、どうやらこの時代、いかに死んでいくかということが重要だったらしく、むしろ生贄となることは名誉なことだったらしい。

そしてその心臓は…




予想通りチャックモールの腹に乗せられる。そしてチャックモールが見る視線の先は…西に沈む太陽と共に旅立つ生贄の魂を見送っているのだという。





そして頭蓋骨はダンゴのように串刺しにされて重ねられる。ツォンパントリの頭蓋骨は彼らのものだったのだ。

そして、その頭蓋骨の数がその地域の強さを表しているのだという。



さて、マヤ人は星の知識が優れているほか、音の知識も優れているのだという。


それを証明する、球戯場の音の反響実験。

中央で手を叩くと…左右に音が跳ね返ること7回。もちろんこれらは全て計算済み。


そしてその音響効果を更に効果的にするために、よくよく見ると左右の壁は上のほうにいくに従って少しずつ内側に傾いている。





また球戯場の一番奥と手前には座席があり、お偉いさんが座るところだと思うが、ここでも手を叩くと反対側の壁に音が反響する。

添乗員さん曰く、当時は拡声器が無かったから、その効果をこういう方法で実現させていたとのことだ。



そんな解説を聞きつつ目を閉じると…

数百年の時を超え、大勢の観客の歓声が反響して、反響が反響を呼び、場が盛り上がる光景が見えてくるようだった。



というわけで、この球戯場での音の反響実験をデジカメ動画で撮ってみました。
よろしければ
こちらをクリックしてダウンロードしてみてください。(14.7MB)






次のポイントに向かうために球戯場を去るルートとして、球戯場の裏をまわった。
と、そこにはたくさんのイグアナがいた。
しかもこいつら観光客慣れをしているらしく、エサを投げると奪い合う。

やはりこればかりはどの動物も国境も無く、みな一緒といったところだろうか。



その後ツォンパントリの解説を聞いた後、聖なる泉セノテ、別名・生贄の泉セノテへと歩く。





猛暑のジャングルを歩き、行き着いた先には…





予想していたよりも、かなり大きい沼地があった。


この遺跡があるユカタン半島には川が無く、降った雨は地中に染み込み、地中の空洞に貯まる。その後、空洞の上の地面が陥没した結果、このような泉が出来るという。だから水はきっと貴重なものであり、それゆえ神聖化されたのかもしれない。


また「チチェン・イツァー」という名前も実は「チチェン=泉のほとり」の「イツァー人」から来ているので、それだけにこの泉の重要度は計り知れないものがあったのだろう。


そして日照りが続くと、若い処女が生贄として投げ込まれたという。
もし死なずに生き延びた場合、それは、神様に「お前はまだ生きていろ」という扱いにされたと考え、神聖化されたそうだ。


また、1911年にアメリカ領事トンプソンがこの一帯を買い上げ、泉の調査を行なった結果たくさんの発見があったのだが、その真の目的は考古学調査というよりは、生贄と一緒に投げ込まれた宝飾品を手中にすることにあったらしい。

そして実際、黄金細工やヒスイなどが多数発見されたという。





ここでしばらく休憩時間があり、暑かったので…レインボー色のアイスキャンデーなるものを購入。



余談だが、実はそろそろペソの現金が尽きてきてかなりヒヤヒヤしていた。

ここのお土産分と、今夜の晩ご飯分と、明日のタクシー代を何とか確保したかったが、それにはもう一度どこかで両替をしなければならない。ただ今日は日曜日。果たして街の両替所はやっているのだろうか、と、またひとつ不安要素を作ってしまった。



そうこうしている間に集合時間となり、再びジャングルを抜けてカスティーリョに戻る。

そしてここでも音の反響実験を。

カスティーリョの正面で手を叩くと、後ろにある金星の台座、左にある戦士の神殿、そして右にある球戯場にそれぞれ音が反響するのだ。実際には球戯場内の実験ほどはハッキリと分からなかったが、マヤ人の技術の高さを垣間見ることができた。





さて、この頃から雲行きが少しずつ怪しくなってきた。ゴロゴロと鳴る音も遠くのほうで聞こえてきた。
添乗員さんが言うには、いつもはこのあたりでスコールに合うのに今日はまだ降らないから珍しいとのこと。

ということはそろそろ来るか…?



と、不安になりつつもいよいよ迎えた自由行動の時間。
しかし、ここまで2時間程度費やしてきただけあってか、与えられた時間は僅か40分!


残り時間を把握するために、腕時計のカウントダウンタイマーをセットする。



行きたいところはまだまだある。戦士の神殿も千本柱の間もまだだし、旧チチェン・イツァーは全く観ていない!



ということでとにかく走りまわり、写真や動画を撮りまくり、遺跡に触りまくることに。

後悔はしたくない。





まずは戦士の神殿から。

ここの階段を登ったところにはチャックモールがあるのだが、残念ながら今は登ることができない。ただ、手前の柱までは近づけるので…
と、これをよく見てみると、その柱に戦士の彫刻が彫ってある。もしかしたらこれがこの神殿の名称の由来なのかもしれない。





お次は千本柱の間。

ここで動画を撮っていたところ、5人くらいのアメリカ人っぽい観光客に声を掛けられたが、「ちょっと待って」とジェスチャーしたり。んで動画を撮り終えた後、「何?」って聞くと、単にカメラを撮ってくれとのことだった。

うーん、急いでるのに…とも少し思ったが、こういう交流も旅の思い出だと思い、快く応じてあげた。
って、撮るのを失敗して撮り直したりしたけど。w





それにしても千本柱の間は凄い。何が凄いって、よく分からないけど(笑)、整然と並んだ柱がひたすら続くのが何となく凄かった。





それから、その奥にある、ガイドブックにも解説されていない、よく分からない遺跡に足を伸ばし、

それからようやく旧チチェン・イツァーへ。



残り、僅か20分…



途中、ここまで5年近く共にしてきたウエストポーチのチャックが壊れ、腰に巻いたまま走る事ができなくなってしまったため、それを外して手に持って走るハメになった。
チャック以外にもあらゆる部分がボロボロになっていたから、まぁ仕方がない。国内はもちろん、海外だけでもニューヨーク、ホノルル、韓国そしてメキシコ。よくここまでもったものだ。



辺りがゆっくり観光している中、猛暑下を大汗垂らして走る男。

ガイドブック片手に…



高僧の墳墓を、





尼僧院を、





教会を、





カラコルをまわり、

撮り、触る。



もう…残り5分しかない。






最後に再びカスティーリョに戻り、その一角に抱き付いて全身で感謝の念を表す。

 

 

ずっと待っていてくれて、ありがとう・・・

 





そして、さようなら・・・

 




何とか観たかったところを全てこなし、遺跡入り口の集合場所に集合時間ピッタリに合流。


そこで従業員のオッサンが「カレンダー?」と聞いてきたので思い出した。そうだ、カレンダーを受け取るのを忘れていた。





お金を払って、これを受け取る。

そして汗をぬぐいながらバスへ乗ると、、、



まさに、本当〜〜にバスに乗ったその瞬間、激しいスコールが。

まるで自分が夢を叶えるその全てを待ってくれていたと錯覚するような、凄まじいほどのグッドタイミングだった。


しかも行きのトイレ休憩の時に買ったサングラスのツルが「パキッ」と折れた。これもある意味グッドタイミング…ていうか、ようは不良品じゃん、みたいな。まぁ、でもそれも今となっては大した問題じゃないけどね。

というわけでかなり急ぎ足だったし、土産屋もロクに見れなかったが、それでも気持ちは…やり遂げた充実感で一杯だった。
出来ればもっともっと、そう、丸1日でも費やしたかったが、でもそれなりに満足のいく夢の叶え方が出来たと思う。


バスはスコールの中、遺跡を離れ、レストランへと移動する。





そして10分ほどで到着したレストランでバイキング形式の昼食を取る。





ここでもほぼ全種類取って、それからファンタオレンジを購入。飲み物は別料金なのです。w

ひと通り平らげて、あともう1〜2品ほど食べようかなと思ったけど、ちょうど別の外国人ツアー集団が押し寄せて猛烈に列を作ってしまったのでそのまま離席。



外に出ると、雨も小降りになっていた。そして中庭には熱帯植物が茂っていたのでこれを撮影。





ガイドブックにあった、雨に濡れた植物は緑が映えるのでそれはそれで綺麗という記事を読み、機会があれば…と思っていたのだが、まさかこれも叶えられるとは思わず…。

というわけで、割と上手く撮れたかなと自画自賛。w



集合時間までまだ少し時間があったので、さびれた土産屋を何気なく覗いてみる。





すると…わずか90ペソでマヤカレンダーをあしらったTシャツが売っていたので購入。いや、カンクンで買ったTシャツが少し高いかなーというイメージがあったので、これを安いと感じたまでのことだけど。

でも造りはどちらも割としっかりしてた。



そうこうしている間に集合時間になり、バスに乗り込む。

そしてお次はちゃんとしたお土産屋へ。
いわゆる、ツアーに組み込まれているお土産屋、って奴ですね。





添乗員さんによると、なんでも変わったテキーラもあって、試飲も出来るから、飲んでみたい人は私に声を掛けて、とのことだった。
自分は、その時の話に出てきた蜂蜜をメインとしたテキーラに興味があったので、購入を前提に考えていた。

お土産屋では相変わらずの「なんか買え」攻撃。ただカンクンほどガツガツはしていないので少し安心。

意外にもお土産の種類が置き物や編み物系ばかりで、特に心を惹かれるようなものはなかった。

店員は自分のアステカカレンダーTシャツを見て「イイね〜!」的なジェスチャーをしつつ、もう一枚買わない?的な攻撃をしてきたのでサラッとかわす。ちなみにここの店員もみな英語堪能。

そしてお目当てのテキーラ。購入予定は実家に1本、友達に1本、それからH.I.S.新宿で手配や情報提供をしていただいて大変お世話になったお二方分で2本。合計4本が理想だったんだけど…さすがに大きいサイズを4本はキツい。



というわけでミニサイズを買うことにした。通常のテキーラを2本、蜂蜜タイプを2本。
ちなみに蜂蜜テキーラは激甘だった。


店員とは料金交渉の末、合計300ペソで購入となったわけだが…あれ、結構高くついてしまったかな。まぁいいか。
ちなみに現金がほとんど底をついていたので、カードで購入。

最初、試しにJCBカードで買おうとしたけど、やっぱり使えなかったのでVISAで。
ちなみにメキシコシティの空港で掛けた電話はJCBカードが使えた。

そして集合時間。バスに乗り、このままカンクンへ…と思いきや、途中、バヤドリという小さな街を経由していくことに。
なんでもここはかつて征服していたスペイン人が自分たちの故郷を懐かしんで、自国風の建物を意識して建造したために、そのような雰囲気の建物が多く建ち、それが現在でも残っているのだという。






でもソカロとはまた違った雰囲気の街だなぁ。


それから20年以上前に、松田聖子と神田正輝がこの街の教会でドラマのロケをしたのだが、そのとき松田聖子が倒れてしまい、献身的に介護をした神田正輝と後に結婚することになった、というエピソードを添乗員さんが語っていた。
ただ今はもうこの二人は離婚してしまったけど。





そして後はカンクンへまっすぐ。

約2時間の道のり、行きと同じくお休みタイムとなったが、自分はやはり寝る事は無かった。夢を抱き続けた地に行けた喜びを回想しつつ、そして撮影した写真や動画を見つつ、その時間を過ごす。



途中、バスのすぐ上を飛行機が何機か飛び立つ姿を目にした。

そういえばカンクンに来る時、ジャングルの真上を飛んで来たんだっけ。ということはあの飛行機は着陸態勢にあるんだな…ということはカンクンも近いか…などと思うと、やはりどこか少し寂しいものがあった。


帰り順は、ホテルゾーンを経由し、それぞれで客を降ろしつつというものだった。つまり朝のピックアップの順番に客を降ろしていくというものだから…自分は最後ということだ。


実はホテルゾーンを1周してみたいと思っていたが、自転車やバイクでもない限りはムリだし、タクシーは高いだろうし…と諦めていたのだが、このバスのお陰で、何とそれさえも叶えることが出来てしまった。本当に幸運続きだった。

それにしても着くホテル、みんな超豪華。ダウンタウンの自分の湿気の高いホテルとは大違い。w
世界最高のビーチと豪華ホテルで、何もせず一日ゆっくりするのもいいかな…と思ったけど、まぁそれはそのうち機会があれば…ってことで。



ところで、他の客は友達同士、夫婦、親子連れという人たちが多く、そして同じ日本人同士という事もあってか、やはり終始お互いに声を掛ける事がほとんど無かった。そのあたりが、カタコトながらも会話が弾んだテオティワカンの交流とは違って残念に思った。

だけど、ふと思ったのが、もし当初スペイン語や治安の不安から完全日本語パックツアーを利用していたら、スペイン語を喋る機会がほとんど無い事はもちろん、苦労して壁を乗り越えた時の喜びも感じられなかっただろうし、そしてずっとダンマリを決め込んでしまったかもしれないと思うと、結果的に今回の単独旅行は大成功だったのかもしれないと思うようにもなった。


さて、不安材料のひとつであった両替。たぶん、ダウンタウンに行けば両替所はあるとは思うが、日本円を扱っているかどうかも分からなかったので、ダメもとで添乗員さんに両替をお願いしたら、1万円分程度であれば両替できるという。
レートで言えばかなり低めだけど、まぁそんな事も言ってられない。

というわけで、わがままに応じてもらった感謝と共に両替をしてもらった。



そして一番最後の一人となり、バスを降りるときに、運ちゃんにグラシャスと言って握手をし、そして添乗員さんに感謝の気持ちを伝えたかったのでちょっとだけ時間を割いてもらい、

・ チチェンイツァーに行く事が20年来の夢であったこと
・ それを叶える事ができたこと
・ 詳しい解説が聞けて嬉しかったこと
・ 自由時間が少なくてちょっぴり残念だったこと
・ スペインに住む添乗員さんならではの現地のエピソードが聞けたこと

など、思っていた全ての感謝の意を伝える。

それから恒例の(と言っても韓国からだけど)写真を一緒に撮らせてもらうことに。




…が、暗いせいか何故かボヤけてしまい、何度試してもダメだった。唯一の無念。
でも、それも旅の良い思い出のひとつということで潔く諦め、そして最後に握手をして別れる。




全ての夢を叶えた一日を締め括るにふさわしい、メキシコ最後の夜


最終日の最後の晩餐は、わざわざ再びホテルゾーンには行かず、このダウンタウンで探して食べる事に決めていた。


日曜夜7時の街並みを歩き、途中インターネットカフェに寄り、自分の掲示板に結果報告。

以下、その時の書き込み。


Mission Complete !!!
9/25 (月) 09:30
---------------------------------

Toiuwakede, ima no jikan wa 9/24 (sunday) 19:30 goro desuga,

チチェン・イツァー観光, tattaima bujini owarimasita !!



tonikakudesune,,, 20 nen matteita kaiga arimasitayo...

kan muryou...



atoha, banmeshi wo kutte, saigono shiren dearu AM7ji ni kuukou ni ikukoto.
saigono saigomade hitosujinawa deha ikimasenga, maa,,, soremo soretoshite.


sosite, FINAL MISSION : MEMORY CARD wo buji mochikaerukoto!!! (w
...tonikaku, goukei de 1000mai ijou satsuei sitakarane... (w


ndewa, tsuzuki wa mata kikoku no atode.

Adios ! (w




で、終わったので料金を…って、やっぱり言われた金額が分からなかったのでガイドブックの数字ページを見せて教えてもらい、支払い完了。
ちなみに30分少々で8ペソでした。


さて、そういうわけで海外旅行最後の晩餐は、、、いつから恒例となったか分からないけど、肉一択!!!w


でも…数件歩いて候補を決めつつも、やはりなかなか入る勇気が涌かない。

そんな中、空いていて、店頭にウマそうな肉のサンプルに目を奪われ、そして呼び込み店員の勧めにダメ押しされて確定。w
他の客が少なかったけど、わりと良い感じの雰囲気で落ち着いた店だった。






ミディアム焼きなステーキを食べ、ビールを飲む。

実はここまでメキシコを代表する「コロナ」という銘柄のビール(日本でもお馴染みの銘柄ですね)になかなかありつけなかったので、何とか滞在中に飲みたいと思っていたのだが、無事にこれも叶える事ができた。



ところで店員は他の客が少ないからか、かなりヒマそうにしていて、特にそのうちの一人の、スティーブン・セガール似の店員がやたら絡んできた。
おいしい?とか、写真撮ってあげようか?とか、コレはこうやって食べるんだよ、と言ってタコスの皮にステーキの肉を挟み、サルサソースを掛けて食べる食べ方を教えてくれたり。





これが意外にもボリュームが結構あって、かなり満腹になった。

そんなこんなで、お陰さまでその全てが最後の晩餐を演出する楽しい経験となった。

そして最後に…これもやり残していた事のひとつ、テキーラの一気飲みを。

添乗員さんに教えてもらった正しいテキーラの楽しみ方、それは、ライムをガブッと一口、そしてグラス1杯のテキーラを一気に飲み干す!
これを実践したかった。




ビールは2本飲んで結構酔ってたけど、最後にコレをやって、サイコーにハイな気分になり。w

料金195ペソとチップを払い、明日の早朝、日本に帰るんだと店員に伝えてアディオスと言って店を出る。

 

そして店の前で記念に店の写真を撮っていたら、最初に自分を捕まえた呼び込みの店員が店の名刺を渡してくれた。



うん、もしまた来る事があれば、きっと行くよ。

ほろ酔い気分で街を歩き、タクシーをつかまえてホテルへ…と思ったが、なかなかつかまえられない。いや、どうもそのタイミングが計れない。

自分の食事前に、他の店の前で客待ちをしているタクシーがいたのでそれを思い出して向かったが、既に1台も無かった。



一瞬、歩いて帰ろうかとも思ったが、安全と言われるカンクンとは言え、やはり夜の一人歩きは怖かったのと、何よりも結構距離があるのでそれは断念。

そうこうしているうちに街を歩いていると…何やら音楽が聴こえてくる。
近寄ると、、、ステージ上で民族舞踊を披露していた。






実は…!民族舞踊も観てみたいと思っていたが、どこでやっているのかも分からず諦めていた。でもまさかこんなところで、最終日の夜に観られるなんて…と、このあり得ないほどの偶然に心から感謝をしつつ、ほろ酔い気分で最高の時間を過ごす。





最後のほうになって飴玉がばら撒かれ、そして小さなメキシコ国旗を渡される。日本人である自分にも渡してくれたのが少し嬉しかった。

そしてそれを振りながら出演者と客が一体となり、最後のステージを盛り上げる。





そして最後に花火が光り、紙吹雪が舞う。拍手喝采。



というわけで、この民族舞踊をデジカメ動画で撮ってみました。
よろしければ
こちらをクリックしてダウンロードしてみてください。(19.6MB)



幸せな気持ちでいっぱいなまま席を立ち、街を歩き、そして今度は無事にタクシーをつかまえる。そして相変わらず助手席側に乗る。w

運ちゃんに今日起こったことをヘタクソな英語で伝える。とにかく今日は、今は本当に幸せなんだ、って。
運ちゃんも、それは良かったと言ってくれた。そして自分が持っていたメキシコ国旗を見つけ、「メキシコ人はとにかく祭りが好きなんだよ。しょっちゅう祭りばかりやってるよ」って話で盛り上がった。言葉は半分くらいしか分からなかったが、ほろ酔い気分も手伝って、そしてあらゆる夢が叶って、とてもとても気分良く過ごすことが出来た。



料金は20ペソだったので、ホテルに着いたときに50ペソ札を出すと、釣りが無いからフロントで両替してきてくれって言われた。そしてフロントにその旨を伝えたもののあまり無いと言われたが、5ペソコイン10枚の束があったらしく、それを渡してくれた。

んで運ちゃんに、5、10、15、20あ〜んどこれはプロピナ(チップ)だ、って言ってもう5ペソを渡し、お互いグラシャスと言って、握手をして別れた。




最後の最高の夜は終わる。そして最後の関門。

翌朝は朝7時の飛行機。なので5時には空港に着いていたい。
そこで、モーニングコールを4時にお願いし、そして4:30にタクシーをつかまえてほしいと伝えたら、何とかOKがもらえた。

部屋に戻り、シャワーを浴びて、腕時計のタイマーをセットし、全てをやり遂げた安堵感の中、気持ちよく寝る。



今日は最後の最後まで本当に最高な一日だった。

 

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