>> IRONMAN Gurye: Korea 2018 参戦記 <<

〜 エピローグ - もう、完走だけでは飽き足らない 〜


6時、起床。
結局この滞在は夜更かしと早起きに翻弄されたw


お湯を沸かしてコーヒーとアルファ米の用意をしつつ、食べつつ、BIKE梱包の続き。

そして手荷物の梱包。
補給食を使ったり、いろいろ消費したから荷物が減るかと思いきや、参加賞のトランジッションバッグやらボトルやらで、結局たいして変わらない。

しかしそれにしても、BIKE梱包はかなり手間だから、このハードケースも少し壊れたことだし、買い替えを考えてもいいかも?



作業をしつつ、以前のレースリザルトと比較しながらのプチ反省会。
特に2012年の、山岳メインの長崎バラモンキングのRUNより遅かったのは、エアーサロンパスを使いまくって、エイドが長かったことだろう。
タイツを履く時間のロスもあるし。
そもそもロングレースのBIKEで膝が痛くなったことが原因だと思うが、、、なんか、悔しい。




荷造り完了。

ふと、思いついて、ホテルのおっちゃんに感謝の言葉を述べる手紙をちょっとだけ書く。

「すべてうまくいったのはみなさんのおかげです。
施してくださったことは絶対に忘れません。
本当にありがとうございました。」

という言葉をハングル語の翻訳画面を見つつ、頑張って、初めてハングル語で書く。
ホント、象形文字だなこれ。
なんて難しいんだ。。。

  



9:10にタクシーが来るので、そろそろロビーに行こう。

と、部屋を出たところ、同時に隣の隣の部屋が開く。
錦織圭かと思ったが香港人だったw


日本語か英語話せる?って聞いたら、まぁ当然英語やね。

どうやら、自分と同じく10時のバスで仁川空港に行く予定らしいが、バス集合場所までの移動手段が無いらしい。
そこで、いつものJirisan Information Centerに行けば空港に行けるはず、という情報を伝える。

「Could you please help me?」

困った顔をしてのお願いの言葉。
もちろん、困ったときはお互いさま。

ちょうど、大きめのタクシーを手配してもらっているので、
「Sure !」
一緒に行くことに。

しっかし彼、もしこの瞬間的な出会いが無かったら、どうしようとしてたんだろう。


ホテルを出たところで待機しているタクシーと、ホテルのおっちゃん。
大型タクシーだ。おかげで、ハードケースを2つ載せることが出来た。

あれ?1人じゃないの?的なジェスチャーをしていたのかもしれないけど、無視w



そして出発間際、ホテルのおっちゃんにメッセージを書いた手紙を、、、頑張って音読し、伝える。
おっちゃん、ひとこと、そのひとことにうなずいてくれて、最後まで伝えたところで、ニコニコして握手してくれた。

Booking.comの評価はイマイチだったけど、自分にとってはホント、不安な異国の地で慣れない外国人に精一杯付き合ってくれて、感謝この上ない環境だった。



別れの言葉を伝えて、タクシーに乗車。

運ちゃんにJirisan Information Centerの地図を見せて、左折・・・と思ったら右折をしやがりそうになる。

「Wait! Wait! WAIT!」

香港人と一緒に伝えるw


右折した先に、ローカル路線の空港行きバスがあるからそれと勘違いしたのかな。
ていうか、Jirisan Information Centerがあまりにも近過ぎるから、距離で儲けようとしやがったのかw


とりあえず無事、左折してもらい、、、
ものの数分でJirisan Information Center:集合場所に無事到着。

運ちゃん、「なんだよこんな近くかよ」的なリアクションをして、1人10,000ウォンと言う。
ホテルのおっちゃんは、1台15,000ウォンって言ってたから、2人で20,000ウォンってことか。
このやろ、5,000ウォンを余計にボッタクってやがるw

まぁでもいいや。
錦織圭(違)と顔を合わせて、やれやれってジェスチャーw

でも自分にとっては一人で乗る予定だったから、そこから考えると逆に安くなったので結果オーライ。

ここはあえて、さっきホテルのおっちゃんに伝えた最大級の感謝の言葉を使って運ちゃんに伝えて、場の空気もやり過ごすw
まぁでも実際、1kmちょいとは言え7kgの荷物を背負って、30kgのハードケースを転がして坂道を徒歩で登るのは、ムリやね。

感謝の気持ちはホンモノです。




Jirisan Information Centerにはすでに、BIKEを載せるトラックがスタンバイしていた。
そのトラックは2台。
仁川空港行きと釜山行きとで分かれているらしい。





けど、人間が乗るバスは1台。
なんでも、ハードケースは釜山行きトラックに載せて、人間はこのバスでSandong Market地区のBlue Resort Hotelまで行って、そこで乗り換えろってさ。

乗換えか・・・。大丈夫か???(汗
でも、もうレースも無事に終わったし、あとのトラブルはべつに、いいかな。



集合場所で出会ったマレーシア人と3人で、出発まで会話。

韓国IRONMANは2回目だそうな。
マレーシアのIRONMANも出たことがあるとのことで、傾斜はゆるいが登りが長いらしい。
そして彼は今夜空港に泊まって、明日の便で帰るらしい。


と、その近くでスタッフらしきニーチャンがスマホで話しながら何かウロウロしている。

・・・あっ!
初日、仁川空港のIRONMANブースにいたニーチャンだ。

そういえば、最終日の手配について、電話してくれって言ってたな。すっかり忘れてたw
とりあえず無事、釜山行きのバスに乗れそうだから、まぁ・・・良かったよホント。。。



しばらくしてバスに乗るよう指示され、そして出発。

あれ、まだ聞いていた予定より20分くらい早いんだけど。
ホント、テキトーだなこいつらw

ってか、もし10時に着くようにタクシーを手配してたら間に合わなかったのか。
恐ろしい。ほんと。。。




道中、窓から昨日走ったBIKEのハイウェイコースと、RUNの河川敷コースが見えた。
香港人のにーちゃんがしきりに写真を撮るので、自分も負けじと撮りまくりw

昨日、あそこを走ったんだなぁ。。。





写真を撮り終わって、また会話。

香港というか中国にはIM70.3しか無く、ロングレースは無いらしい。んで
「日本は?」
って聞かれたので、
「4つあるよ。北海道アイアンマンは2015年で終わっちゃった」
って伝えたり、
「富士山の周りを走ったことある?」
って聞かれたので、
「20年前にあるよ」
って答えたら、
「もっと若いと思った。」
だって。

「まぁ、アジア人は欧米人に比べて若く見られるからね」
と言ったら、
「まぁね。」
とリアクション。

やっぱそうなんだねぇ。





しばらくして、Sandong Market到着。

あれ?Blue Resortは?
と思っていたけど、待てど暮らせど出発しないので、いったん降りて、Sandong Marketで待っている人に聞いてみることに。




ちょうど釜山行きのバスを待つ日本人の集団がいたので聞いてみたところ、彼らも本当はホテルで待つはずだったけど、ここに来た(来させられた?)らしい。
他にも多くの人が、いろいろな国の言葉でダベりながら待っていたので、ここで降りて待つことにした。


その旨を香港人とマレーシア人に伝え、挨拶をして別れる。

昨日のフランス人の真似をして、Take care ! って付け加えてみたら、ちやんと伝わったらしい。
たぶん。



セブンイレブンでジュースとお菓子を買って、階段に座って待つ。




・・・が、待てど暮らせど来やしない。
16時の飛行機に間に合うかな。
間に合わなければ、まぁ、いいか。少しくらいトラブルを経験しておいても、、、あ、いや、やっぱもうこれ以上は勘弁w



遅れること、なんと50分。
ようやくバスとBIKE回収のトラック到着。




釜山行きのバスを待っていた集団のうち、東南アジア系のオッチャンが
「キメ!キメ〜!」
と言ってたからなんだろう?と思ったけど、釜山の空港である「金海空港」すなわちGimhae Airportは、キメって発音するから、「金海空港行きのバスがやっとキタ〜!!!」って歓喜のオーバーリアクションなわけね。


ってかそのバス、すでにほとんど満席だし。
ほかのホテルを廻ってたのかな。




んで、乗り切れない乗客を放置してバス出発。おいおい。。。
まぁ、多分次のバスも来ていることだろう。たぶん。

いや、どうだろう。。。


そういえば初日、仁川空港の受付ブースで乗車チケットを往復分渡されたけど、それを提示するよう言われたことは全く無かったな。
チケット無くても乗れんじゃん。
ほんと、テキトー過ぎ。

いや、乗客を信頼している、、、わけ無いかw




高速道路を飛ばす。

なんだ、ここの観光バスは追い越し車線がデフォなのか?
トンネル内でダミーのパトカーサイレンが鳴り響くのが面白い。


なんか、国民性なのかな?苦労は絶えないけど、それくらいでいいのか、日本がキッチリし過ぎているのか。

「日本人はキッチリして、やることさえやればいい。それ以外の事は、知らない。」

それは国を挙げてのゆとり教育なのか、事なかれ主義なのか、規定外の事が起きてもそこに立ち入らない柔軟性の無さなのか。
どっちが良いとは言わないけれど、もう少しラクに、柔軟に生きれるような環境が日本に備われば、個人的にはちょうどいいのかなと思う次第。



車内の飛び交う会話も多国籍。
けど、iPhoneの着信音が一緒なのは、まぁ当たり前ではあるけど、なんかオモロい。



うたた寝をしつつ、時々起きては車窓の眺めを見つつをしているうち、いよいよ道路標識に「Gimhae Airport」の表示が出てきた。

出発が1時間遅れ。3時間掛かると言われていたが、その遅れを取り戻すためなのか、2時間で着いた。
どんだけ飛ばすんだw







13時、金海空港到着。

まだBIKE満載のトラックは来ていないけど、16時のフライトなのでまぁ、大丈夫だろう。


ヨメさんと結婚する前に訪れた釜山、その帰りに見た光景と同じ景色。
あまり詳しくは覚えていないけど、だいたいこんな感じだったなぁ、と。






30分ほど待って、トラック到着。
こちらもどんだけ飛ばしたんだw

最後の心配事、自分のハードケースがちゃんとこっちの空港行きトラックに載っているかにドキドキしたけど、、、ちゃんとあった。
よかった。





BIKEを受け取り、そのまま手荷物チェックイン。
成田や仁川と違ってこちらはガラガラで楽チン。






けど、成田空港では重量オーバーチャージは無かったが、こちらはしっかり50,000ウォン取られた。
重さは31.5kg。結局、行きと変わらなかったな。

ちなみに開梱してのCO2インフレーターのチェックは無かった。



ハードケースを預け、昼食。

焼肉を食べたかったけど、空港には無かったので、水冷麺にした。





ゆっくり食べた後、お土産探し。
でも、めぼしいものは特に無し。


手持ちのウォンをすべて円に替える。
日本国内よりも韓国内で両替したほうが、やはりレートは良いようだ。


出発保安検査場へと進む。
出国審査へと進む。
搭乗ゲートへと、進む。。。


韓国らしい韓国、求礼らしさ、IRONMANらしさは、これでおしまい。

少しばかりの、寂しさ。



中に入って、店を見て回る。
けどやはり、DUTY FREEショップかセブンイレブンくらいしかめぼしいモノは無い。




ま、それっぽいものが欲しかったら大久保で買えるしw

ひとつ、ダンキンドーナツのトッポッキドーナツは気になったけど、機内が臭ったり、荷物に臭いが移るのがイヤだったので「無し」で。






ダンキンドーナツの隣で両替所をハッケン。
レートを見たところ、、、出国審査ゲート内外では、差は無い、、、かな?

結局、5万円を両替して、戻ってきたのは3万円。
うち5千円は重量オーバーチャージで、3,000円くらい?が両替手数料なので、現地で使った金額はほんと、わずかだった。

まぁ、バスにうまく乗れなくて現地の移動手段を使うとか、ホテルでクレジットカードを使えなかった場合のことを考えて多めに両替したけど、今回はレースが目的だから、べつにいいかな。
もう一泊してカジノに行ったり、とかも良いかもだけど、まぁ、今回が韓国3回目だから、とりあえずは。




搭乗が始まる。

いつもの見慣れた、光景。





ほぼ満席の狭い機内、その指定席に着席。






定刻通りのフライト。


大地から離れ、街並みが小さくなってゆく。

今回は中心街に全く用事が無かったな。
まぁ、こんな旅もたまには。



ありがとう。
いつか、また来ることがあれば。










もう、完走だけでは飽き足らない



初めての海外トライアスロンは無事、幕を下ろした。

波乱に満ち溢れた旅だったけど、終わってみれば全て計画通りにスケジュールをこなすことができた。
無事にレースのスタートラインに立ち、最後まで安定した走りをすることが出来た。


むしろどちらかと言うと、スタートラインに立つまでの様々な事務作業や移動、宿泊に神経をすり減らした旅路だった。
でもこれは海外レースである以上、そして削れる予算を削っている以上は、宿命なのかもしれない。

いつか、もう少しリッチに、余裕をもって臨みたいものだ・・・が、そもそもエントリーフィーだけで国内レースと比較してだいぶリッチにならざるを得なくなっている。
だからそれはまだ先の話になりそうだ。



今回のレースは北海道アイアンマンと同じく、17時間制限。
けど圧倒的なヒルクライムとトレイルランに苦しめられたそれとは異なり、今回は平地メインゆえ、さほど制限時間を気にすること無く、大きなトラブルも無く、無事完走を果たすことができた。

もちろん、準備は手を抜かず、むしろ3種目とも基礎に立ち返ってその取り組みを見直すところから始めた。
その成果も出始めた。

だから、今回のレースに対する手応えはいつも以上のものがあった。


けど、過去のレース、特にアイアンマン・ディスタンスと比較したときに、大幅な記録更新をしたかと思いきや、実際はそれほどでも無かった。
RUNに至っては、山岳メインの2012年、五島長崎バラモンキングよりも遅い結果であることに、現実を受け入れるのに少し時間が掛かった。

もちろん、その要因ははっきりしているけれども。



ヒザの痛み、寒さ、加齢。。。

言い訳はいくらでもすることが出来る。

けど、あの時のように、本当に力を出し切って、動けなくなるくらいの、、、120%の実力を発揮する事ができたのだろうか?
・・・と自問すると、、、

自信を持って「そうだ」と言い切ることが出来ない。
というのが、悔しいけれど、正直な感想、、、本当の実感だ。


もちろん痛みに耐えつつ、RUNを基本的には歩かずに最後まで行くことが出来た、という実績を積み上げることはできた。
けど、ラストのスパートができる体力、そしてホテルに戻って片付けができた事を考えると、、、


なぜか込み上げる悔しい想い。


それはきっと、過去の自分に本当に勝てたと言えないこと、そして余力が残ってしまったことにあるのだろう。




「なんで、こんなに悔しい想いをしているのだろうか。」


・・・まさか、こんな想いを抱くだなんて、全く思っていなかった。

むしろ最後までRUNが走れたことに、ゴールの瞬間、泣くんじゃないか・・・?とか、どんな想いに包まれるだろう・・・?とか、いろいろ想いを巡らせていたけれど、まさか悔しい想いがこ込み上げてくるだなんて、これっぽっちも思っていなかった。


もちろんゴールの瞬間は物凄く嬉しかったし、海外レースを完走したことに満足したけれど、そのリザルトを過去の記録と比較したあたりから、「あれだけ準備したのに」という気持ちが、「もっとやれたはず」という想いが、次第に浮かんできたのだ。




アイアンマン北海道に続き、IRONMAN韓国の完走。

そして、世界40箇所で開催されるIRONMANシリーズ。


けど、単にその各国で参加するだけでは、単に完走するだけでは、単にフラグ立てをするだけでは満足しないんだ。
満足できないんだ。

・・・それを、身をもって自分自身に教えてくれたことを、しっかり理解しなければならない。




今回のレースで得るものは多かった。
反省材料もたくさん見つかった。
今は存分に悔しい想いをして、そしてそれを糧に、前に進もう。



世界への扉は開かれた。

もう、国内に留まっている必要はない。
たくさん苦労して、でもそれを苦労とは感じず、国内にいる時のと同じように安心できる心の器を携えて、レースに集中できるようにしていきたい。


そのためには英語力も必要だ。

文化の慣れも必要だ。
移動にまつわるアイテムの見直しも必要だ。

でも、一番大事なのはもちろん、レースで満足のいく結果を出すことだ。
そのためには今以上のしっかりとした練習、身体のケア、そして何よりも、家庭と仕事をしっかり両立することが重要だ。

そして現状に満足せず、もっともっと、高みを目指していきたい。




究極の目指す未来、それは数十年後のIRONMAN Hawaii: KONA World Championship。


それは今回も全く変わらない、一貫した野望だ。
それはあまりにも高すぎる、無謀とも言える目標だ。

そして今回のレースの結果をもってますます、その差の大きさを現実として突きつけられた、あまりにも高い壁だ。。。


けど、もしもその情熱が今後、数十年経っても消えずに輝き続けていたならば・・・。



その頃には娘も大きくなっていることだろう。


娘には自分のやりたいことを見つけてもらって、自分の道をしっかり進んでもらいたい。

そして願わくば、その目指す世界にもし、おとーちゃんと同じ光景が広がっていたのなら、、、


親子でいつか一緒に走れれば。

・・・そう願うのである。





世界で繰り広げられる、数々のレース。

IRONMANシリーズ、そしてWorld Championship。



まだまだ参加したいレースが山のようにある。

そして重ねゆく年齢に、いよいよもって本格的に抗ってゆく年代へと突入してゆく。




ときに、男41歳。

やりたい事があるのは、幸せなことだ。
自己の掲げる目標に向かって鍛錬し、挑戦し、そして遥かなる野望を抱き続ける。



世界への扉は開かれた。


闘いを望む大地があるならば、どこまでも羽ばたいていけ!





もどる