>> 日本列島(中部)横断 << |
1999年3月
大学4年次の春休みを利用し、友人と2人で車でスキーに行く予定だったものが、相方が風邪気味ということもあり、スキーはやむなく中止ということに。別の人間を誘って行くことも考えたが、当人が「(暖かそうという理由だけで)とりあえず西のほうに行きたい」との提案。それに賛同することにし、目的地も決めずテキトーに車を走らせる、という相変わらずいい加減な旅がこうして始まるのであった。
東京〜山梨〜奈良〜大阪〜四国〜淡路島〜京都〜三重〜東京
第1日目 / 東京〜山梨
まずは山梨県へ行き、富士急ハイランドでテキトーに遊ぶことに。これは出発前から決めていたことであった。折りしも冬のシーズンだったので、屋外スケートリンクででも滑ってみることにしよう、というのがその理由。また、県内にある山中湖には自分の祖父の別荘があり、宿代をケチることができる。それに当然ながらなるべく余計なお金をかけたくないこともあり、初日にここを選んだ理由がそこにもあったわけだが…
さてさて。山中湖までの道のりは、例のごとく高速道路代をケチるため、一般道を使用することになった。過去の経験もあり、道は地図を見なくても行けたことだし、相模湖近辺を抜ければあとはひたすら田舎道が続くだけなのでスイスイ進むことができて…と思ったらあまりのカーブの多さに助手席の相方が若干酔い気味になっちゃったみたい。
そんなわけで少し休憩しようと思ったとき、ふと思い出したことが。この国道413号、通称「道志みち」沿いに、昔「お笑いマンガ道場」なるテレビ番組の出演者、富永一郎氏のギャラリーがあり、もう少しで着くからそこで休むことにしよう。ということで、彼にはもう少し我慢してもらうことに。
ん、ところで「お笑いマンガ道場」ご存知だろうか。当時自分は小学生ではあったのだが、”こじき”の富永さんと”土管在住”の鈴木さんの貧乏バトルはあまりにも有名ですな。そして何より富永さんの「ふたコマで〜す」のセリフを今でも鮮明に記憶している。そうそう、司会者の柏村武昭氏は国会議員にも当選したことがあったっけ。それから後日調べて分かったことなのだが、番組構成が三谷幸喜なのだという。この頃から活躍しているとはねー。いやはや恐れ入りやした。
てなわけで話が脱線してしまったが、とりあえず到着、、、したものの、閉まってるし。えーとなになに、1月〜3月は9時から15時の、それも祝祭日のみの営業ぉ?むむ。今日は平日。うむー残念。またいつか来たいものだ、と心に残し、しばしの休憩ののちそこを去るのであった。
そんなこんなで道志みちを抜け、山中湖に差し掛かるあたりから富士山がその雄大な姿を現す。以前から夏の富士山は何度か見てはきたものの、雪の積もった富士山をこんな間近から見たのは初めてであった。そのとき撮った写真がこれ。ちなみに撮影場所は、道志みちが湖畔を一周している道路にぶつかる信号から、そのまま細い道を直進して湖畔に出たところである。
その後ようやく到着した富士急ハイランドでしばし運転からの開放。しかしジェットコースターが2時間待ち?!気付けば修学旅行か何かのバスが何台も来ていたし、春休みとはいえ平日なのにこんなに人手があるとは思いもしなかった。また、他のアトラクションも大して興味を惹くものもなく、意外に短時間でそこを後にすることとなって時間が余ったので、男二人で山中湖の手漕ぎボートに乗ってみたり、ぶらぶらしているうちに陽がくれてきたので、宿(?)に泊まって、まぁ、そこそこ充実した初日が終わったのだった。
第2日目 / 山梨〜奈良〜大阪〜四国(高松)
2日目。いよいよ西に向かって突き進むことになる。最初は国道1号でひたすら行ってやろうかとも考えたが、思ったほど景色の変化がなかったので、きりのいい所で高速道路に乗ってしまうことにした。が、この道もかつて自転車部の遠征で使ったことのあるだけに、新鮮味は半々であった。ただ、あの頃は遠くまで出掛けても試合だけ消化して観光もせず、すぐに帰ってしまうことの繰り返しだったので、今度こそ満足いくまで観光してやる、といった気持ちがあったのかもしれない。そしてそれこそがそもそものこの旅の決断につながったのかもしれないと思い返すのである。
さてさて、かなり走ったのち、奈良で高速道路から出ることにした。小学校の修学旅行以来の奈良。有名な寺や古墳等を少しまわりたかったものの、東大寺に着くあたりですでに夜はふけていたので、仕方なく宿をさがしつつ、またもや西方面へと進むことに。が、もともと都心の運転はあまり得意でないこともあるが、車という、小回りの効かないことが災いし、なかなか思うように見つからない。そんなことの繰り返しで、あれよあれよで大阪にたどり着いてしまった。
その後どんな道順をたどったかはよく覚えていないが、甲子園球場を見に行ったり、晩御飯を食べるところを探しているうちにどこかの港に到着。そしてフェリーがある。四国行き。多少、高くつくがなんとなく乗ってみたくなったので、それを利用することにした。時間はすでに午後11時をまわっていたこともあり、これを本日の宿代わりとすることにしてしまった。四国は高松までの所要時間、約4時間半。睡眠時間としてはかなり短いが、車を乗せ、客室へ向かい、運転に終始した2日目がようやく終わるのであった。
そして車ごとフェリーに積むという、この、何とも言えない経験が後に自分を虜にするのである。
第3日目 / 四国(高松〜徳島)〜淡路島〜京都〜三重
短い休息ののち、四国に到着。まだまだ真っ暗な午前5時。もう少し寝ていたかったものの、とりあえず船から出なければならない。そして行き先を決めなければならない。西?それとも東?…瀬戸大橋も渡りたかったけれど、距離と金額が高くつきそうだったので、短い考慮ののち、東方面へと方角を向けることになった。
夜明けの海岸沿いを走り、とりあえず本州方面行きのフェリーの時間を確認するため、徳島の港へと向かうことに。なんだか、フェリーが気に入ってしまったようで。しかししかし、ここでまたフェリーに乗って戻るのはそっけない。ということで、そこの無料駐車場に車を停めたまましばらく休憩しながら、近年完成したばかりの大鳴門橋を利用することで四国を脱出する、という計画を立てた。
さてさてやってきました大鳴門橋。鳴門海峡を目の前にし、朝食をとる。せっかく四国だから、ということで讃岐うどんを食す。もともとうどんはかなり好きな食べ物ではあるが、讃岐うどんは特に好きな食べ物。なんというか、あのコシといい味といい、文句のつけようがありゃせんわな。かつて高校の修学旅行で食べたことがあるのだが、そのときは冷たいざるうどん。今回は朝ということもあり、温かいきつねうどんを注文。もちろん味は言わずもがな。そういえば四国の人って、毎日うどんを食べるって聞くけれど、本当だろうか?さすがに毎日というのは…ねぇ。
さてさて。満腹になったところで、四国の北東部分をテキトーにまわったあと、いよいよ大鳴門橋に乗る。デカかった。よくこんなものを人間は作れるものだ、と終始感心しながら四国を脱出したのだった。
そいでもってこのまま高速道路を使って本州に戻ってもよかったのだが、時間もたっぷりあることだし、ということで淡路島の一般道を使って縦断することにした。しかし、本州に比べればいくら小さい島とはいえ、それなりにデカく、少し気が滅入りもしてきた。が、数時間走り続けると、今度は本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋が見えてきた。そこから高速道路に乗ろうと思った矢先、ここからもフェリーが出ていることを発見。しかも今度は時間にして1時間程度と、距離が短いため金額も安く済む。そういうことでまたもやフェリーを利用することにした。
出航まで少し時間があったので、昼食は港の近くでお好み焼き。鉄板で、ヘラを使って食べる、というそのスタイルは知ってはいたけれど、実際にそうして食べるのは初めての経験であった。また、港町というシチュエーションも手伝って(?)、変わった思い出がまたひとつ増えたのであった。
フェリーは明石行きなので、明石海峡大橋と比べると若干西に戻されることになるのだが、まぁ、大阪内の首都高速に乗ってしまえば、あとはいつもと同じになるわけで、そう大したことでもない。そして、関西の半ば偏見にも似た(笑)周囲の運転マナーの悪さに二人で笑いながら、前日果たせなかった京都入りを今度こそ目指すことにした。
京都に到着したとき、意外にも時間がなくなっていたので、とりあえず近場で有名だった清水寺に行くことにした。以前から特に深い意味もなく、なんとなく自分は京都が好きであった。でも、時期が悪かったのか時間が悪かったのか、あまりの人と車の多さ。特に車で来るにはこれほど適さない場所はないと、まざまざと思い知らされた。もともと車の運転がそれほど好きというわけではない、という要因もあるだろうが。とにかく、二度と車では行かない、と決意を新たにしたのであった。
清水寺拝観を終え、下山する頃、だんだんと夜もふけてきた。相方が「三重に行きたい」ということだったので、琵琶湖畔の道路を抜け、夕方のラッシュを抜け、山道を車で飛ばすことに。狭くて暗くて怖かったが(閉所&暗所恐怖症(笑))、いざ三重につくも、何もない。宿らしい宿もない。きっと、あそこでガス欠になっていたら死んでいただろう。というのはちょいと大げさである。まぁそんなことはおいといて、しばらくあてもなく走りつづけたところ、何やら電飾された建物を発見。見ると、それは温泉健康ランド。むむ。そういえば初日以来、風呂に入っていない。というわけで、今夜の宿は温泉健康ランドに決定。奇遇にも、なにかのキャンペーンとやらで入浴料が半額だったので、まさしく即決であった。
第4日目 / 三重〜東京
久々に熟睡することができた。さすがに数100kmを連続で運転するのはキツい。一晩を共に明かしたはずの多くのトラックの運ちゃんも、自分が起きたときはすでにおらず、どうやら一番最後まで寝ていたらしく、相方に起こされてようやく目が覚めた。
さて、結果的に最終日となるこの日、前半はずっと相方に運転してもらってしまった。この日初めてとなる雨も、なんとなく趣があってよかったかな?唯一、途中で寄った夫婦岩が、晴れていなかったのが心残りではあったけど。
ところで当時、おサカナがたくさん出てくるテレビゲームに夢中になっていて、魚に興味があった自分は、実物を見てみたいという不純な動機(笑)で水族館に行きたくて、ちょうど有名な鳥羽水族館が近かったので行くことにした。なんか、入場料がかなり高かったけど。
カメ、ミノカサゴ、コブダイ、イソギンチャク、クマノミ、クリオネ…おなじみのメンバーがそこにいて大満足。さすがにシーラカンス、クジラといった面々がここで見れるわけはなく、全キャラ制覇はもちろん不可能ではあったにせよ、なかなか面白かった(元ネタわかるかしらん)。とくに魚の動きを観察するわけでもなく、なんか、こう、ず〜っと、ただ眺めてるその時間がのんびりと過ぎていった。
ひと通り館内をまわった後は特にすることがなかったので、少し北上し、伊勢うどんを食す。汁らしい汁がなくて、麺もコシがぜんぜん無い。こんなうどんは初めて食べた。
さすがに疲れっぱなしで、また特に行きたい所も思いつかなかったので、高速道路に乗り、一気に東京を目指すことにした。こうして目的地のない、長くて短かったわけのわからない気ままな旅はこうして幕を下ろしたのであった。おそまつ。