>> ツール・ド・おきなわ2000 <<
2000年11月
このページに掲載している写真のうちの数枚を、沖縄県HPより拝借させて頂いております。
万一使用に関して問題がございましたらメールにてご連絡いただきますよう、お願いします。
ミレナリオに沸く西暦2000年の11月、それまで続けてきた自転車競技の最後を締め括る場に沖縄を選んだ。曽田正人の「シャカリキ!」というアツいアツい漫画の影響も少なからずあるが、ここではほかに類を見ない、国内最長200kmにも及ぶレースが展開されるのだ。クラスは国際レースと市民レースの2つに分かれ、もちろん国際レースなどに出場できるはずはない。そこで市民200kmレース部門にエントリーする…のはさすがに、自分はそれを走りきる実力が残念ながら備わっていない。そこで、その一つ下のランクの120kmレース部門にエントリーすることにした。
また、学生時代の遠征と言えば、高速道路を一所懸命移動して、走って、またすぐに帰るというパターンだったため、今回ばかりは単独行動であることもあり、とことん観光してやる!という意識があった。
レースは「ツール・ド」の名がつくだけに、交通規制をして一般道を駆け抜ける。さすがに沖縄全土となると、都心の那覇などを規制するのは大変なためのだろうか、比較的人口の少ない名護以北を舞台に展開される。コースは上図にあるとおり。200km部門は名護に始まり名護に終わる。そして自分の参加する120km部門は、普久川ダムのある山頂手前をスタートし、そこをまず東に向かう。分岐点を左折、北上して最北端の海岸線沿いを暫く走り、再び普久川ダムを登る。分岐点を今度は右折して名護へと向かうコース。早い話が200km部門の前半80kmを端折った内容である。
標高を示すと上図のようになる、のだが、実は5つある大きな登りのうちで最もきついのは、実は最後の2つの山なのである。傾斜がほかのどれよりも緩いにも関わらず、である。なぜこういうことが起こるのかはおいおい述べていくとして、この高低差を頭に置きながら読んでいってもらえると多少は雰囲気が伝わることだろう。
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日程は5泊6日。レースは4日目に行われ、それ以外は移動と観光であるのだが…どうもこうも、何かと波乱含みで、、、初日、羽田空港を出発した飛行機はその悪天候ゆえ、沖縄に着陸することが出来ず、鹿児島に着陸する。出発から3時間後のことである。そろそろ腹も減ってきたこともあり、せっかくだから何か鹿児島名物でも食べるか、などと考えていたものの飛行機から降りることは許されず、なぜかそのまま羽田空港へと引き返してしまうのである。午後4時過ぎに出発した飛行機が午後11時過ぎに同じ場所に引き返したのだ。泊まるようなホテルも無いので空港内で一夜を過ごすことになる。テレビでよくこういった光景は見てはいたが、実際に体験するのはもちろんこれが初めてであった。
2日目。午前5時過ぎ、空港が開くと共に起床。さすがに床で寝ると体がコチコチになるもので、暫く空港内を散歩し、朝食をとり、6時半の便に乗る。機内はもちろん満席である。事情を知らない一般旅行客の、この時期でもまだ人気があるんだなぁ、などと話しているのが耳に入った。
前日の悪天候とはうって変わって、外は超のつく快晴。まぶしい太陽。そして雲海。昨日現地入り出来なかった不満もこの光景を目にしてすっかり忘れてしまった。すがすがしい気持ちで一杯であった。そしてウトウトと…
今度は何のトラブルもなく、無事沖縄に到着。暑い!もう11月だというのに半袖で十分だ。過ぎ去った夏がもう一度手に入れられたようで嬉しくてたまらない。それに加え、これから始まる一大イベントのことを考えると…笑みがこぼれるのをこらえるのが大変だった。しかも、考えてみれば昨日の段階で沖縄入りしたところで、時間的に宿に向かって寝るだけだし、どうせ寝過ごすだろうから、ということを考えると、結果的にこのほうが早い時間に沖縄の地に立つことが出来たわけだし、それに1泊分の宿代が戻ってくるので一石二鳥であった。
預けた自転車を回収し、那覇空港を出る。さて、どうするか。とりあえず観光だが、この自転車をどうするか。…考えはすぐに決まる。空港で自転車を組み立て、デカい荷物を背負ったまま自転車で観光するのである。まぁさすがに全土を自転車で回るにはレース前であることも考えると無理があるので、市内観光と、それから首里城に向かい、残りの観光地はレース後に訪れることにした。
常夏の街を走ること数十分、途中、寄り道をしながら首里城到着。さすがに観光地。カップルや修学旅行、それからそれから…観光地に行くのは久しぶりだったので嬉しかった。ひと通り城の中を歩いてみる。なるほど、本土と離れている分あってなんとなく中国大陸の雰囲気のある造りだなぁ。壁沿いに歩き、中に入る。しかしここからさらに城の中に入るには入場料を取られ、それ以前にそれほど興味が無かったのでここで引き返す。
観光センターに行き、昼ご飯を食べることにした。今回の目的に沖縄料理を食べ尽くすことも含まれていたので、さっそくここでソーキそばをはじめとする数種類を食べる。ん〜シアワセ。数人で来れていたならもっと楽しかっただろうにと思う。
さて支払いだが、偶然にも弐千円札が財布に入っていた。守礼門のデザインされた札を守礼門のある地で使う。なんとなくいい気分?になったところで、さて、そろそろ名護に向かうか。さすがにこのまま自転車で向かうには距離がありすぎる。バスかタクシーか。観光案内のネーチャンに名護までのアクセス方法を尋ね、バスを利用することに決定。
再び自転車をバラし、乗車すること2時間半。名護に到着。あれれ、那覇に比べてこっちはずいぶんと寂しいなぁ。ここでの観光も視野に入れていたのだが、ハッキリ言って何もない。観光ガイドパンフレットにはそれでも観光地が紹介されているので、とりあえずそれは翌日行くことにして、まずはとにかく宿に向かう。
到着した宿はさすが一番良いホテルを選んだだけあって豪華。ただ…ちょうど修学旅行の中学生と一緒になってしまったので、にぎやかなのは良いが少しやかましいのがタマにキズ。でも、2人部屋で相部屋になった人物とこの後ある程度一緒に行動できたのでよしとする。こういった出会いもまた旅の醍醐味かと。沖縄産のオリオンビール(結構ウマい)で乾杯し、この旅とレースの成功を願う。
3日目。この日の予定は昼過ぎまで観光、その後出走手続きと開会式。そして、我々120km部門参加者は国頭村スタートなので、バスで移動する、この3つである。
まずはパンフレットに書かれていた観光地を少し。とは言うものの、ほとんど自転車で体を作ることを含めたサイクリングするようなもの。それだけあって大したことはできないし、大した観光地もなかった(汗)。
そうこうしているうちに出走手続き受付開始時間になっていたので、会場の名護市民会館に向かってみる。おっ、けっこう出来てきたなぁ。だんだんと人も集まってきて、次第にレースに対する実感が湧いてくる。ん〜明日が楽しみだ。早く明日になれ。
手続きを済ませ、自転車を預け、タコライスなどを軽く食べながら開会式が始まるのを待つ。
そして開会式。お偉いさんが長々と挨拶をする。相変わらず退屈な内容だ。そしてコース説明。初日の大雨でコース変更等の影響が心配されたが、調査の結果全て通常どおり行われるということでひと安心。そういえばテレビ局中継も来ている。オイラ写ったりしたかしらん。む。外国人選手を取材している。そういえば多いなぁ。白人もいるが、お隣の台湾人選手も実に多い。こりゃ負けられん。
開会式が終わると、ほとんど日が暮れていた。暗い夜道をバスで国頭村まで移動すること数十分。リゾートホテルに到着。なるほど、ここも最高級のところを選んだだけあって確かに豪華だ。周りには何も無いけど(汗)。コテージ風にそれぞれ分かれた部屋に宿泊し、夜はバーベキュー。1晩しかいられないのが実に残念。人によってはこのホテルが好きで何度も足を運ぶ、なんて人もいるという。機会があれば自分ももう一度来て、2〜3日滞在したいものだ。
4日目。いよいよレース当日である。待ちに待った日がついにやってきた!朝早く起き、バイキング形式の朝食をとり、着替えを済ませ、荷物をまとめてバスに乗せ、スタート地点行きの別のバスに乗る。申し込みをしてから予定表が送られてくるまで荷物の移動はどうするのか心配だったが、なるほど全部面倒見てくれるのか。これで気兼ねなくレースに集中することが出来るわけだ。
スタート地点に到着。む、ここは結構曇っていて寒いなぁ。まぁ走り出してしまえば問題ないだろう。預けた自転車を回収し、準備に余念が無い。刻々と時間が近づく。ドキドキ…
スタート5分前。列に並ぶ。いよいよだ。その時!先頭争いをする2人のレーサーがすごい勢いでこのキツい山を登ってくる。国際レース200km部門のレーサーだ。それに遅れて大集団がこれまた猛烈な勢いで山を登っていく。その雰囲気、その迫力に否が応でも気分は高まり、興奮が最高潮に達したとき、ついにスタートが切られた!
まずはイキナリの上り坂。実は沖縄入り2週間程前、いつも愛用しているカーボン製の自転車に修理が必要となる状態となってしまったため、急遽数年前まで使用していたかなりボロくて重い自転車でこの試合に臨んだのだが、準備段階で他の自転車を触らせてもらったりした時に感じたのが、明らかに重いのだ。さすがチタンやクロモリは高いだけあって軽い。私の自転車は重い。即ち上りがいつも以上にキツい。そのイメージの焼き付きもあり、とにかくポイントはいかに上り坂で離されないことなのだ…が、開幕早々からピンチ。嫌でもエンジン全開。まぁ、その分本調子に乗ることができたから結果オーライではある。
さて、しばらく上ると平地に、そして分岐点。まずは左折して最北端の半島を廻り、再びここに戻ってくるのだが、果たしてその時まで先頭グループに残っていられるだろうか…。完走率から考えると、かなり頑張らないと途中で強制リタイアさせられてしまうので本気で走らなければならない。
分岐点を左折すると、長い長い下り坂に差し掛かる。もともと下り坂は得意なだけあり、スタート時点で中程にいた順位を、一気に先頭に立つことに成功。ただ、そのまま一番前にいるとモロに風の抵抗を受けて損するだけなので、前から5番目くらいを常にキープするようにして坂を下っていった。
下りも終わっていよいよ本当の戦闘開始…と思ったが、やはりこれからの長丁場を考え、さすがにまだ本格的に”仕掛ける”選手はいない。50km程度のレースであれば最初の下り坂が終わった瞬間や上り坂が始まった瞬間に勝負を仕掛けるのだが、やはり皆考えるのは一緒で、最初の勝負どころは最北端の「奥」という地名に存在する上り坂。勝負はそこから始まる。
40km/h程度の比較的スローペースで集団は団子状態のまま、いよいよ「奥」に突入。行った!後方から数人飛び出した!集団もこれに反応し、次々にこの”仕掛け”を潰さんと連中を追いかける。そしてもちろん、自分もその潰す側の一選手。しかし…恥ずかしながら、段々先頭集団から離されてしまう。全部この重い自転車のせいと勝手に決め付けたりするのだが、こりゃヤバい。とにかく視界から先頭集団が消えないよう必死に追いかけるものの、その姿はどんどん小さくなっていき、坂が終わる頃にはほとんど見えなくなってしまっていた。自転車競技というものは先頭を引っぱることをローテーションして一人の負担する空気抵抗を平均的に少なくするのが基本中の基本で、そのローテーション人数は多ければ多いほど有利。幸いにも先頭集団はそれほど人数が多くない。まぁこのままいけば普久川ダムの上りに差し掛かるまでに吸収できるだろう、比較的楽観視していた。
予想よりも思ったより早く先頭集団を吸収することに成功し、また彼らもこれ以上逃げることを諦めたのだろう、再び大集団で海岸沿いをしばしサイクリング状態。人口の極端に少ない”やんばる”地域に住む人々の暖かい声援に答えながらも、いよいよ普久川ダムに戻ってきた。間もなく誰かが仕掛ける。。。行った!
さぁ、どうする…?このまま意地になって追いかけても、今度の坂は長い。早くも全工程の4割程度を消化したとは言え、まだ体力は残しておかなければならない。それに残念ながら上位入賞できるほどの実力は持ち合わせていない。ここはひとつ、なるべく第2集団にいつづけられるよう、出来るだけ我慢することにする。
しかし、思っていたほど傾斜はキツくない。でもそれ以上に残念だったのが、「シャカリキ!」にあるような大応援団のかけらもないことだ。まぁあれは脚色し過ぎではあるとは言え、少しは期待していたのだが、ほとんど応援する人がいない、というのは残念。まぁその分レースに集中できるということではあるが。
しかしこの自転車はマジで重い。あれよあれよで順位は下がっていき、第3集団の後方で粘る程度となってしまう。しかし、「頂上まであと500m」という標識は元気が出る。頑張る。粘る。。。
戻ってきた。スタート地点だ。おぉっ、給水やってる。「水かスポーツドリンク!」「水?それともスポーツドリンク?」走る選手が必死ならばボランティアも必死に叫ぶ。それにしても、こういう事はいつ体験してもいいものだ。自分はエネルギー系の補給食をすでに半分程度消費してしまっていたのもあるが、どうしてもスポーツドリンクが欲しかった。「スポーツドリンクぅ!」叫びに反応し、差し出されたボトルを落としそうになりながらも何とか入手に成功。これで少しは体力が回復するだろう。
それなりにヘトヘトになりつつもなんとか上り切り、分岐点を今度は右折する。いざ、名護へ。
ここにきて集団はかなりバラついてしまい、2〜3人の集団が出来ては消え、出来ては消えを繰り返すうちにしばらく独りで走ることが続いた。こうなると辛い。長いし気が滅入ってくるし、何よりスピードが落ちる。誰も風除けになってくれないのだから。しかし、腹は減り、体力も無くなってくる。補給食はなんとかうまい具合に調整できてきたのでゴールまでは持つだろうが、果たしてこのスピードで強制リタイアにならないだろうか。それだけが心配の種だった。そして前方にそびえる山。そう、冒頭で述べたキツさというのは、こういう状態で臨む山のことを示しているのである。
披露困憊になりながらも残りの距離と、残りの山の数くらいは把握している。そして幸いにも後方から10数人の比較的大きな集団が近づいてきたので、彼らに吸収してもらって山を引っ張っていってもらうことにした。いや、実際に手を差し伸ばして引っ張るような事はもちろんしないのだが、気分的な問題で、ペースメーカーがいると精神的にかなりラクなのだ。おかげでなんとか4つ目の山は越えることができた。そしてまた長い下り坂。ここで集団のペースも上がり、自分は集団の後方でひたすら体力の回復を待つ。ちょっとずるいけど、これも生き残るための知恵なのだ。
坂を下っているうちに、別の小さな集団を吸収。おや?車が併走している。なるほど、台湾人選手とコーチか。何を喋ってるのかサッパリ分からないが、ともかくまた人数が増えることは良いことだ。その分堂々と(?)休むことができるし。
ところが、そうこうしているうちに最後の坂が迫ってくる。体力の温存は…さすがにここまで80km以上走っているわけで、そうは簡単に回復しない(この辺がプロとアマの差)。そして案の定、集団から離され、再び独走が始まってしまうのだった。が…もうこうなったら頑張るしかない。幸い、最後のチェックポイントは過ぎているので、もう強制リタイアの心配をしなくていい。あとはどれだけタイムを縮められるか、だ。しばし、我慢のヒルクライムが続く。
それからどれくらい経っただろうか。すでに体力は無くなり、気力だけで走っていたような気がする。気付くと坂を下りきり、長い長い平地が続く。何となく街が開けてきて、待ち行く人や往来する車の数が増えてきたようだ。いや、気のせいではない。道路の片側車線を完全に封鎖し、堂々とこの道のど真中を走行している。大渋滞の続く対抗車線には車内から応援する子どもたちの姿も目に入る。しかし…もはやそれに応えるだけの体力は残っていない。
瞬間!横を大集団が凄い勢いで駆け抜けてゆく。市民200km部門の先頭集団だ!しかもこれが、ここまですでに180kmも走ってきたとは思えないほどのスピード。しかしこれにあやかっていけばかなりタイムを縮められるのでは、と考え、残る力を振り絞って集団の最後尾に合流する。何気なくスピードメーターを見る。な、何っ?!50km/h ?!信じられん。これが200kmにエントリーする人間の実力か…などと感心してばかりもいられない。かなりマジで走らないと、あっという間に離されてしまう。しかし頑張りもさすがに長くは続かず、結局離されてしまう。だがこれでかなりタイムを稼げたはずだ。残り10km。
ここまでくると沿道の応援も増えていく。さすが、人口は那覇ほどではないが、一年に一度の大イベントだけに、盛り上がりもそれ相応のもので、こちらにも元気が伝わってくる。そうだ。これだ。これだよ俺の求めていたものは。「シャカリキ!」が漫画の世界を飛び出して今、現実に、目の前に存在している。もらった。元気を分けてもらった。あと5km。頑張れる。
もうここまで来ればゴールは目と鼻の先。ガードレールにはのぼりが絶え間なく立てられ、名護の全人口が集まったのではないかと思うくらいの人、そして人。鳥肌が立つ。見えた…ゴールゲート。歓声があがる。力が抜ける。もはや惰性の走行。全身全霊の体力を使い果たした。…ついにゴール…。120kmに及ぶ、長く険しき道は今ここに終結したのだ…。
倒れ込むように選手控え広場に寝転がる。疲れた。さすがに疲れた。でもすがすがしい気持ちで一杯だった。レースでここまで長い距離は走ったことがなかった。完走できるか不安だった。でもやり遂げた。自転車競技人生を締め括るには最高のフィナーレだ。
しばらくして、部屋を共にした男も戻ってくる。どうやら彼もギリギリながら完走を遂げたようだ。二人とも良い終わりかたができた、と喜びを共有する。
閉会式。沖縄名物、泡盛を片手に出された料理をほおばる。沖縄民謡が戦い抜いた選手を祝福する。配布されたリザルトを確認する。
記録:3時間31分39秒190、第49位、トップとの差 23分4秒872
決して満足できる記録ではないとしても、とりあえずはまずまずと言える結果だろう。が、ここまでくるとやはり、やり遂げたことで十分だ。閉会式は続く。表彰式、抽選会、そして全員が参加して踊るや踊る…
最大の祭典は幕を下ろした。5日目。1日でまわれる観光地は少ない。この日は一日、那覇の国際通りを中心に沖縄の繁華街を歩く。沖縄料理を食べ尽くす。ふと、新聞に目をやる。「ツール・ド・おきなわ」はどの程度の記事が割かれているのだろうか。紙面をめくる。しかし、その扱いはごく普通の記事のひとつに過ぎなかった。なるほど、やはり那覇にとってこの行事は大したイベントではないようだ。それよりも彼らは迫る那覇市民マラソンのほうが、より興味があるのだろう。名護とは車で2時間以上離れているだけに、これはいたしかたない事だ。どちらにせよ、自分には、そう、いい意味で自分が良ければそれで良いのだ。そしてこのレースに参加した人間ひとりひとりがここで得た経験をどう活かすかは、その人次第であり、人それぞれで違ってくるだろう。可能性はそれこそ千差万別だ。人には人の生き方がある。自分が良かれと思ったこと、それこそが自身にとっての何よりの正解なのだから。