>> 皆生トライアスロン参戦記 <<
〜 エピローグ 〜
闘いから一夜明けて
朝は7時を迎える。
目覚まし時計が鳴る。
穏やかな朝日が部屋を包み込む。
起きるのはややキツかったが、、、今日もやる事がたくさんある。
頑張って起きよう。
まずは軽く身なりを整え、朝食を。
準備に忙しくしているホテルの従業員に挨拶をして、お盆を持って飲み物やジャムを乗せて、席に着く。
程なくして朝食が運ばれる。
今日は、今朝は慌てて食べなくても大丈夫。
ふと、周りを見渡すとそこにはIDバンドを付けた選手がけっこういることに気付く。
なんだ、みんないたんだ。
ってかみんな朝早いのね。
朝食を平らげ、コーヒーを飲んで少しまったり。
そして部屋に戻る。
さて、少し忙しくなるぞ。
昨晩広げた洗濯物やウエットスーツらを片付ける。
BIKEをバラし、梱包する。
往路はサドルとディレーラーを下部にして送って失敗したから、復路は通常の180度逆にして、サドルとハンドルが下になるようにして梱包。
その緩衝材の包み方はさすがに、やや丁寧になる。
今回はトランクによる完全分解の手間を省くための梱包法だったけど、またこのあたりは次の機会までに考えよう。
もしトランクタイプでもバラす量の少ないタイプのものがあれば、それを買う事も検討しようかな。
と、いろいろやっているうちに時間がだいぶ経ってしまった。
閉会式受付は9:30からだけど、わりとギリギリの時間に荷造り完了。
すべての荷物が片付いたことを確認し、忘れ物が無いことをチェック。
お世話になった部屋は再びガランとする。
わずかな淋しさを覚える。
ありがとうございました。
巨大な荷物をズリズリ動かしてエレベーターに乗せる。
そしてフロントへ。
初日の打ち合わせ通り、荷物と保証金300円を預け、チェックアウト。
街を歩く。
閉会式会場までは、ものの数分。
良い場所に宿が取れてよかった。
もしスタート会場近くの宿だったら、シャトルバスこそあるものの、それに間に合わせるための朝食時間やBIKE梱包作業はもっとタイトなものになっていただろう。
街を歩く男たち。
その手首には自分と同じく、IDバンドが巻かれている。
良い天気だ。
そして、暑い。
コンベンションセンターに到着する。
すでに多くの選手たちが集っている。
そしてその中には、みな同じ紙袋を持って帰路につく選手たちもいる。
どうやらあの中に、完走証・公式記録・フィニッシャーポロシャツが入っているのだろう。
会場入口の人だかり。
そこでは写真の即売会をやっていた。
さっそく店員にゼッケン番号を伝える。
ひとつひとつ振り分けられた封筒の中から該当のものを探し出し、これを見せてもらう。
撮影された写真は5枚。
期待していた「ゴールテープを頭上で高々と掲げる写真」は無かったけど、どれも買う価値のありそうなものばかり。
と、なんとバラ売り不可で、計4,500円と少しお高め。
けどまぁ、1枚900円ならいいか。
緩い財布のヒモをフルオープンし、これを受け取る。
そうそう、おまけでSWIMスタート時の、全選手による咆哮写真を付けてもらった。
ホクホク顔で館内へ。
閉会式 − そして再会
会場に入る。
多くの選手でごった返している。
が、どことなく安堵感に包まれていた。
さて。まずは、何はともあれ、リザルトを受け取りに。
で、自分の記録はというと、、、全体的な順位としては、抑えたとは言えいくらなんでも下位過ぎるな。
それにしても完走率が高い。ここ数年は80%程度だったが、いきなり94%に跳ね上がった。それだけ今回のコンディションは恵まれていたという事の証拠か。
リザルトのほか、同梱されていたのは完走証とポロシャツ。
ダサい…w
お次はおみやげを購入。自宅と実家と会社メンバーと。
そしてこれをリュックサックに詰め込む。
もうこれ以上は入らんw
そうこうしているうちに閉会式会場が開場となった。
↑閉会式がちょうど始まったときの様子を撮影した動画です。
※再生ボタンをクリックすると動画を再生できます。右クリックでダウンロードも可能です。(23.1MB)
動画を撮りながら入っていくと、BIKEコースの下見バスツアーで一緒になった選手に声を掛けられる。
場所も比較的前の方だったので、ちゃっかりご一緒することに。
いつも長ったらしい表彰式。
年代別、男女別で1位〜8位までを表彰するのだから長くなるのも仕方ない。
しかし今回は、カテゴリごとの対象者を一気に壇上に呼び、代表で一人だけ賞状を渡すスタイル。
残り2位以下はと言うと、、、なんと「以下同文」すらも無く、さっさと壇上から降ろさせて、そこで賞状を渡すという珍しいスタイルだったので非常にサクサク進んだ。
そして、ひと通り終わったと思ったら、最後に夫婦漫才芸人である宮川大助花子が監督を務めるチームが壇上に上がり、挨拶やらミニ漫才やらが繰り広げられる。
なんでもお二人はここ、鳥取出身とのこと。そして弟子たちの中から選抜チームを募って、リレー部門で参加していたのだという。
…ってか、話長過ぎw
せっかく表彰式が短く済んだアドバンテージを全部持って行ってしまったかのようなw
それがようやく終わり、お待ちかねのパーティー。
発泡酒とお茶ペットボトルをもらい、、、
乾杯!
お疲れさまでした!
そして料理に群がる猛者たちw
いつも思うけど、みんな食い意地凄まじいねw
加えて「会場後方でどら焼き配ってまーす」というアナウンスに反応し、配布エリアに群がる猛者たち。
そんな珍しいモノでもあるまいにw
その後は、料理を食べながらの抽選会。
デカいスイカやら自転車スタンドやら、しまいには自転車自体が当たるという豪華っぷり。
けど、そのほとんどが「持ち帰り方法は自分たちでなんとかしてね」だったので、結果的に全部ハズレだったものの、むしろ当選したら困ったことになっていたかも。もう荷物はこれ以上入らんw
そんなこんなで楽しい時間も過ぎ、お開きの時間となる。
「また来年、35回の記念大会でお会いしましょう」との挨拶をもって、長かった今大会はすべておしまい。
ありがとうございました。
と、「鳥取トライアスロン連合の方たちは片付けを手伝ってくださーい」とのアナウンスがあり、余韻冷めぬそのままに、そそくさと片付けが始まる。
その様子を少し見つつ、名残惜しそうに会場を出る。
そこでも選手同士の別れの挨拶が繰り広げられている。
…いつの日か、また。
コンベンションセンターを出る。
特別な空間、特別な時間から日常へと戻りつつあることを実感しながら、このわずかの余韻を引きずる。
本当に、終わっちゃったんだなぁ。
楽しかった。
さて。
飛行機は17時発。それまではまだ5時間ほどある。
それまでの空いた時間はどうするか。
ひとまず、駅のマッサージ屋に行ってみる…が、混んでいるとのことなので諦める。
皆生温泉に行くには、滞在時間が短い。鳥取砂丘や出雲大社や松江に行くには遠過ぎる。
そしたら、、、水木しげるロードにでも行くか。
ちょうど米子空港に向かう方向に位置するので、時間的に最も効率がいい。
水木しげるロードと水木しげる記念館
駅のコンビニでアイスを買う。
と、レースの記事が一面に掲載されている新聞を目にしたので、これも購入。
それを察した店員のおばちゃんから「ご苦労さま」と声を掛けてもらう。
アイスを食べながら電車の出発を待つ。
乗車する列車は、奇しくも「ゲゲゲの鬼太郎電車」。鬼太郎と猫娘が車内放送してくれるのだ。
駅のひとつひとつにも、鬼太郎のキャラクターの名前が別称として設定されている。ちなみにここ米子駅はネズミ男で、終点の境港(さかいみなと)駅は鬼太郎、といった具合。
ところで、鬼太郎の声はは野沢雅子ではなく高山みなみになってた。そういえばワンピースが夜から朝に引っ越す前までの期間、朝放送していた時の鬼太郎は高山みなみだったっけ。
出発を待つ車内。一番先頭の席に座ったんだけど、続々と客が乗ってきて、意外と混雑。
そこにはいつもの生活の風景が広がる。
そんな自分は、もはやレース参加者ではなく観光客のひとりだ。
そして出発。
始点から終点まで30分程度の、のんびりした時間が過ぎる。
レースのことをメモしたり、調べものをしているうちに、いつの間にかうたた寝していた。
終点、境港駅に到着。
駅を出る。
暑い。
今日がレースだったらヤバかったかも。
鬼太郎や水木しげるにはさほど興味は無かったけど、街は鬼太郎一色だったので、いろいろお店に入ってみたり、写真を撮ったりして、のんびり歩いてみる。
観光客も結構いる。ついでにIDバンドをつけたままのレース参加者も結構見掛けた。みな考える事は一緒のようだw
ときどき着ぐるみを来たキャラクターが観光客と写真を撮っている。
中の人はさぞかし暑いことだろう。。。
それにしてもこの疲労感。
なんだかんだでやっぱりロングはキツい。完走できて本当によかった。
心地良い疲労感。
水木しげるロードの最後には、水木しげる記念館が待ち構えていた。
こちらもさほど興味は無かったが、せっかくなので入ってみることにした。
あぁ涼しいw
ついでに荷物をコインロッカーへ。あぁ軽いw
水木しげるの作品について自分が知ってる知識としては、野沢雅子版の鬼太郎アニメをそこそこと、高山みなみ版のアニメを少々と、深夜の墓場鬼太郎アニメを若干と、あと原作をほんの少し。
けど、鬼太郎以外にもいろいろと関連作品や時代背景なんかを知ることができて、退屈はしなかった。
一連の展示物を見終わって、最後に猫娘が待っていたので写真を撮る。
中庭で少し座ってまったり。
そして記念館を出る。
外はやはり暑い。
なので、、、来た道を戻る途中に見掛けたかき氷を食べる。
って、これもコーラ味でw
その日その場所で、レースはたしかに繰り広げられていた
さて、予定時間よりも少し早く水木しげるが終わったので、ふと思い立ち、RUNの折り返し地点に行ってみることにした。
と言っても場所もたいして離れていないけど。
日本海の日差しを受け、海風をなびかせつつ、海沿いの道を歩く。
その足取りは心地良い疲労感を伴っている。
ゆっくり歩いて、折り返し地点だった公園に到着。
当然ながらそこには、昨日繰り広げられたレースの面影は皆無だった。けど唯一、道順を示す矢印の白線が道路に残っているところに、昨日という日が確かに存在した事を物語っていた。
無事完走できて、よかった。
さて、そろそろ帰りの電車の時間だ。
おや。復路もたまたま鬼太郎電車だな。
その声はもちろん高山みなみだけど、ぼーっとしてたので名探偵コナンかと思ったw
なんでも鳥取には青山剛昌記念館もあるらしく、そっちの印象が先に浮かんだので。
鬼太郎はやはり野沢雅子でないと。
さらば皆生
電車に乗って10分少々で米子空港駅に到着。
空港からの&空港までのアクセスは、電車の本数は確かに少ないものの、時刻表をきっちり確認すればアクセスは悪くない。
シャトルバスより安いし、ローカル線っぷりを堪能できるのでオススメ。
初日、電車までの時間が短いと焦って小走りした連絡通路、これをゆっくり歩いてゆく。
これでこの街とはお別れ。
建物に入る。
そこには、いつもの空港ならではの景色が広がっていた。
復路も特に預ける荷物も無く、自動搭乗手続き機でこれをさっさと終えたら、軽くいつもの空港探検。
小さい空港だから特に見るものも無いけど。
搭乗ゲートが開く。
自分にしては珍しく、さっさと入って飛行機を待つことにした。
席に座って、Bluetoothキーボードを使って参戦記ネタを書く。
…そういえば小腹が空いたな。
というわけで、閉会式会場で配られたどら焼きをパクつく。
皆生大会のロゴ入りだ。なかなか手が込んでいる。
搭乗が始まった。
これについてはいつものように、一番最後のあたりで搭乗する。
帰りの機内は3列×2の、やや狭い機体。
んで、満席。
レース後の選手だけでなく、3連休最終日を過ごした一般観光客らの混雑もあるのだろう。
皆生、バイバイ。
次にもし来るとしたら、5大会制覇後かな?
またいつか来る日まで。。。
戦友の休息
レースを終え、その身体に鞭打って翌日は出勤。
そしてその晩に、早くもBIKEが戻ってきた。
さすが陸続き。
まさかこんなに早く戻ってくるとは思わなかった。
しかしそれにしても、彼も長年の闘いを経てだいぶ傷付いたな。
17年間、ともに闘ってきた戦友のようなものだ。
メンテナンスや清掃をしてあげて、しばし、休ませてあげよう。
今回は往路の発送でサドル部品が破損してしまったが、行きつけの自転車屋に確認したところ、あくまでも破損部分は“飾り”なので乗ることに支障は無いとのこと。なのでこちらはとりあえずそのまま使い続けることに。
ほかの部分としては、、、
■DHバーの跳ね上げるためのバネ。
これの片方が弱まっていたから、部品だけ交換しよう。
■ULTEGRA 8段変速。
2008年、ツールド沖縄のときから何かと悩まされてきた8段。
これはもう、いっそのことまるごと10段に換装しよう。
もちろんシリーズはULTEGRAで。
■各ワイヤー交換と車体の清掃。
10段換装のタイミングで、オーバーホールしてもらおう。
これらをすべて直して、そしてまた次の闘いに、共に向かっていきたい。
ほかにもフレームそのものの劣化や、学生時代に雑に扱った部分もあって心配は心配だけど、自転車屋の店員いわく「カーボンはそんなに経年劣化しない」とのことなので、まだまだ頑張ってもらいたいところだ。
そうそう、自転車のほかにもまだあった。
■ウエットスーツ。
こちらも修理か買い替えになるだろうか?
通常、4年でパフォーマンスが落ちると言うが、すでに6年。
細かな破れも散見するようになっている。
一度修理を見積もるついでに、寿命の見解も聞いてみよう。
■そして何よりも、自分自身のメンテナンス。
年齢は進み、体力も減衰傾向に向かってゆく。
子どももどんどん大きくなり、仕事も忙しくなることだろう。
幸い、若い頃よりもフトコロ事情は少しは良くなっている。なので、下手にケチらず、マッサージや鍼治療をして常にベストパフォーマンスが発揮できるよう、身体をキープし続けていきたい。
レースは終わった。
通常の日常に戻り、ふと感じたのは「まだ7月の下旬にあって、これで俺の夏はもう終わっちゃったのだろうか」という、ぼんやりとした淋しさに近い感覚だった。
しかしそれはつまり、なんだかんだでレース中の出来事が、それ自体が楽しいと思える体験が出来たことの証だ。
次にこれを体験できるのは果たしていつ、どのレースになるだろう。
そしてその時は、今度こそ家族と一緒にその楽しさを共有したい。
アイアンマン・ハワイ “ワールドチャンピオンシップ”
レースは終わった。
波乱の幕開けから歓喜のゴールを経て感じた正直な気持ち、それは意外にも「若干の不完全燃焼感」であった。
その要因は、抑え過ぎによって余力が残っていたことももちろんだが、おそらくは満足な練習ができないままに臨んだ事にあるだろう。
だから当初、いやレース終盤に至るまでは「ゴールさえ出来ればなんでもいい」とだけ思っていたけど、どうやら自分が求めていたものは、必ずしもそれだけでは無かったようだ。
レースを終えたときに感じたこと。それは「目一杯の力を出し切って完走する」そして「そのためにしっかりと練習してくる」ことだった。
けど、果たしてそれを実現させたところで、皆生や宮古島のような、本来自分が目標に掲げている「アイアンマン・ディスタンス」よりも短いレースで本当に満足することが出来るのだろうか?
スポーツに限らず、過去に実体験として感じてきたこと。
それは、
「目標に掲げていた物事に対する、初めての達成による満足感」
と、その先にある
「本当に求めていた目標の達成による満足感」
以外ではなかなか心底満足できない、という残酷な現実だ。
それだけではない。
それに携わるたびに、求めるレベルは上がっていってしまうのだ。
それはあたかも、以前の快楽レベルよりも強い刺激がないと満足することが出来ない、という人間の本質に従っているかのように。
だから次に自分が満足するとしたら、それは「アイアンマン・ジャパン」の称号の獲得、そして「国内5大大会の制覇」であることは違いないが、本当に心底満足するとなると、、、
それはやはり「アイアンマン・ハワイ・ワールドチャンピオンシップ」大会の完走にまで行きついてしまうのだろうか。
…そして少なくとも今の自分に、その参加枠に入り込むだけの実力が全く伴っていない。
その状況はまるで、その種目をかじった素人がオリンピックの出場を夢見るようなものだ。
けど、もし情熱の炎を燃やし続け、何らかのステップアップをし続けることが出来たのであれば…
10数年単位の先の果てにそのチャンスが待っているかもしれない。
ロングディスタンス・トライアスロンの完走を夢見てから11年。
2010年、宮古島大会を完走した。
そしてアイアンマン・ディスタンス・トライアスロンの完走を夢見てから実に13年。
2012年、長崎大会を完走した。
だから、やってやれないことは無い。
加えて、夢見る目標のひとつ、それは
「親子対決をする」。
いや、本当は、父ちゃんの大好きなスポーツを子どもと一緒にやりたいだけなのだけど。
去年産まれた娘との親子対決がもし出来るとしたら、それは20数年後のことになるだろうか。
これもモチベーション維持の要素として、その実現を夢見ている楽しみのひとつだ。
そして、それにも増して何よりも、情熱を注ぎ続けるだけの価値、その唯一にして最大の要素がある。
それは…やはり、
「レースそのものが楽しい。」
この一点に尽きる。
レースに参加する本来の目的はもちろん、ゴール会場に到達した時の達成感やゴールテープを切った瞬間の快感を味わうことだけど、決してそれだけでは無い。
SWIM、BIKE、RUNそれぞれで巻き起こるドラマ、湧き上がる感情、ボランティアたちとの触れ合い、自分との闘い。
そういったものを全部ひっくるめたレース展開そのものに喜びを見出していたんだと、今回のレースを終えて、改めて実感した。
皆生。
今回ばかりはあらゆる運に恵まれた。もし例年通りの酷暑だったら、果たしてどうなっていたか分からない。
だから己に慢心せず、鍛錬を重ね、まずは「アイアンマン・ジャパン」の称号を手にすることを目指し、挑み続けていこう。
その行程はまた、長く、険しい。
今は北海道がその舞台。
浮力の無い湖でのSWIM、ハードなBIKEコース、そして異常なまでに高騰したエントリー代およびその旅程。
しかし、それをまるごと全部払ってでも、得たいものがある。
そう、それはもちろん、
「家族揃って完走すること」。
ロングトライアスロンを夢見るきっかけとなった、あの写真の光景を自分もこの手で実現させたい。
果たして、それが実現するのは娘がもう少し大きくなってからになるだろうか。
けど、きっと全部手に入れる。全部まるごと手に入れる。
それに向けて、やるべきことは盛り沢山だ。
練習、機材のメンテナンス、身体のメンテナンス、仕事、子どもの教育、家計、そして家族の“積み重ね”。。。
やるべきことは、そのひとつひとつをただただ地道にクリアしてゆくこと。
そしてその上に立ち、最高のパフォーマンスをもって、最高の舞台に臨みたい。
それこそが名実ともに、「生涯現役」「アイアンマン」にふさわしい舞台となるはずだから。
遠く、尊き高みを胸に秘め、日々の精進を積み重ねる。
時に、男37歳。
己の限界を超えるための闘い。
それはまだまだ続くことになりそうである。
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