>> アイアンマン・ジャパン北海道2015参戦記 <<

〜 エピローグ 〜


激動の一日が過ぎ、穏やかな朝が戻ってきた。

昨日とはうって変わって、のんびりとした朝を迎える。





ダラダラと準備をして、のんびり朝食。


しばらくまったりしたあと部屋に戻り、片付けをし始める。

外の天候はどんよりとしている。
雨は降っていないけど、レース当日の前後でずいぶんと景色も変わるものだ。




そういえば昨日はあの後タクシーで帰って、そのままばたんきゅー
かと思いきや、むしろ疲れ過ぎたためか、なかなか寝付けないという不思議な感覚におそわれた。

さすがに荷物の片付けはあまりしなかったけど、今日はその荷物をまとめて東京に戻る日だ。
空港まではレンタカーだけど、手荷物を少なくするに越したことは無い。

BIKEについてはBipotaで返送してもらうので、そのついでに「すぐに使わないアイテム」については、これと一緒に返送してもらうつもりだ。
なので、洗濯物はもちろん除外して、それ以外の荷物をある程度選定し、これをバッグに詰める。



昨日受け取ったフィニッシャーTシャツを着る。



サイズも着心地もバッチリだ。




自転車回収〜返送



有珠山噴火公園へBIKE回収に向かう。
っと、雨が降ってきたので、ホテルの傘を借りてゆく。



ん?返却会場が変わったのか、誰もいない。




ふと、同じ疑問を抱いた他の選手がちらほら。
そしてその会話内容や歩く方向から察するに、どうやら選手説明会が行われた「洞爺湖文化センター」の駐車場一帯に変更になったみたいだな。

あれ?どこにそんな情報が?



というわけで文化センターに向かってみる。




やはり、こちらには多くの人が回収に集まって来ていた。


BIKE預託準備のときとはまたひと味違った喧騒感。
けど、その雰囲気はやはり、どこか安堵感で満たされていた。



ただ、雨は止んだものの全体的に濡れてしまっている。


荷物をまとめる選手。
BIKEを回収する選手。
レンタカーに積み込む選手。
その場でBIKEをバラし、ハードケースやダンボールケースに梱包して西濃運輸に預ける選手。


自分もその慌しさに紛れ、整然と並んだBIKE群を歩いてゆく。




ゼッケン順に並べられたそのナンバーの場所に、激闘を終えた相棒はひっそりと待っていた。
フレームは汗と雨水にさらされ、ボトルには草や土がこびり付いていた。

激闘をねぎらうように、ボトルに残った水でフレームを軽く洗い流し、タオルで吹く。



BIKEに掛けられたトランジッションバッグを背負い、出口に並ぶ。

その出口ではBIKEのスペシャルニーズバッグの返却を受ける列ができていた。
そして無事これを回収。

SPバッグにも忍ばせていたアイアンマンボトルのコレクション。
目論見どおり、これで3個入手することができた。





荷物を選定し、これを詰め込み、Bipotaブースへ。




スタッフに完走報告をし、そしてお礼を言って、BIKEと荷物を預託する。

次に回収に行けるのは、少し先のことになりそうだ。
その間、この雨水にさらされた状態が劣化に繋がらないだろうか。

そこでスタッフに尋ねたところ、どうやらアフターレースメンテナンスなるサービスがあるらしい。
有料ながらメカニックメンテナンスもしてくれるとのことだったので、これに申し込む。

相棒とのしばしの別れも、これで安心して預けることができそうだ。


おつかれさま。



それにしても、いやはやホントに、バラさずにそのまま預けられるのはラクだ。
金額は割高だけど、これはちょっとヤミツキになりそう。
また機会があれば。



回収した荷物を抱えてホテルに戻る。
そういえば雨はすっかり止んだようだ。


昨日走った遊歩道を歩いてみる。





観光地、洞爺湖。
レースの面影は次第に薄れてゆき、残されたままの距離表示板やコース仕切りがその記憶を辛うじて留めている。



遊歩道を歩く選手。
どうやら有珠山噴火公園に向かおうとしているらしい。

会場が変更になったことを伝える。
「どこにもそんな情報、無かったよ」だって。

だよねぇ。どこかで発表されてたのだろうか。




ホテル到着。


布団をたたみ、部屋を片付ける。

散らかった荷物をまとめ、4日間滞在した部屋を後にする。
フロントに立ち寄り、代金を払い、そしてお礼を言ってチェックアウト。


最高の立地だった。



レンタカーに荷物を積み込み、アワードパーティ会場:ホテル万世閣方面へと向かう。

さすがにホテルの周辺は車を停めるスペースが無いので、その中間くらいの場所にある駐車場に停め、そこから徒歩で向かうことにした。
観光地としての、例えば遊覧船乗船場の近くの駐車場はわりとスペースに余裕があったから、なかなか機転が利いたのではないかな、と。


ホテルに向かうその道、立ち並ぶ温泉街のホテルはそのほとんどがレース関係者だ。




さすがに、ハシゴを駆使してウェットスーツを干しているのには笑ってしまったけど。




アワードパーティ



パーティ会場に入る。

ウェルカムパーティと同じく、またもやホテルの裏側、フィニッシュゲート側から入る。


開始時間まではまだ少し時間があるけど、会場にはすでに多くの人が集まっていた。





そういえば、ちょうどハワイスロットミーティングが終わったところらしい。



そのタイムを見てみようかと掲示を探したけど、名前しか載っておらず。
まぁ、仮に掲示されていたとしても、到底太刀打ちできないほどの、雲の上の記録には違いないけどね。

でもいつか、10年、20年、30年の先にこの場に立てる日が来れば。。。



会場内には物販ブースが、小規模ながらもいくつか出ていたので見てみる。




特に欲しいものは無い…かな。



パーティ開始まではまだ時間があり、料理もまだ振舞われていなかった。
けど、何となく行列が出来ていたのでこれに並んでみたところ、どうやら牛乳の列のようだった。






牛乳大好きな娘が愛想良くしてたのをスタッフが気に入ったのか、たくさん写真を撮ってもらったようで、本人もご満悦のご様子。




ホテルのロビーに入り、開始時間を待つ。




ヨメさんが娘のオムツを交換に行ってくれた。
と、ちょうどそのタイミングでパーティが始まったようだ。

そして料理も振舞われ始めたようだ。
ホテル内でも行列はどんどん伸びてゆく…けど、ウェルカムパーティの時も列の後方にも関わらず、わりと余裕だったので今回も大丈夫だろう。



ヨメさんと娘が戻ってきたのでその列に並んでみる。

…あれ?ドリンクの列だったのか。

ビールもあったけど、この後レンタカーを運転するので、お茶をもらうことに。



外に出て、メインのジンギスカン料理に至る列を確認すると、、、
あれれ、さっき並んだ牛乳の行列がそれになってら。
しかもその列が長いこと長いこと。

最後尾に並びながら閉会式の言葉を聞く。
まぁ、このセレモニーも長いから、さほど行列は苦にならず。





MCそして大会実行委員長の白戸氏によるレースフィードバック。
各自治体や協賛からの挨拶。

選手の多くはロクに聞きもせず飲み食いに夢中だけどw


ただ、やはり気になったのは来年の開催見込みについてだ。

来年は「白紙」…か。
開催される事を願うけど、崩落した橋の修復は果たして間に合うだろうか。。。




そうこうしているうちにようやく、ジンギスカンに辿り着く。



んで、たくさん盛ってもらったw



それからレッドブルコーナーへ。

スタッフに「BIKEヒルクライム頂上のエイドでコップ3杯も飲んだ」って話をしたら、
「翼、授かりましたか?」だって。

授かりすぎて、下りを飛ばし過ぎちゃったっけかな。
それも今となれば良い思い出だ。





ズラリと並んだフルーツや野菜、トウモロコシ、それからイクラ丼をもらって、空席を探す。

メイン舞台の周りは来賓者やプロ選手用の席なので、それ以外の、、、空いているのはウェルカムパーティの時と同じく、大きなテントの中の席くらいしか無かった。けどこちらにもTVモニターがあるから、閉会式の内容はばっちり観れた。


朝食をとって、昼食にはまだ早い時間帯だからそんなにお腹は減ってないけど、ひとしきり食べつつ、まったりと過ごす。




また少し雨が降ってきた。


各年代別の表彰が進む。

そしていよいよ上位選手、そして優勝選手の表彰とインタビュー。


女子選手部門は3連覇を達成した台湾の選手。
そして男子選手部門はドイツの選手だ。

「数々のアイアンマンに参加しているけど、今回は一番キツかった。」

ボクらホビーレーサーにとっては、いかに体力を消耗しないように乗り切るかがポイントだけど、トップを争う選手にとってはこの上なく厳しい闘いが繰り広げられていたのだろう。。。
もちろん、そのステージまでの距離はあまりにも開き過ぎているから、それがどれほどのモノなのか、などという事はとてもとても窺い知る由も無い。。。






表彰とインタビューが終わり、「また来年」の言葉をもって、無事アワードパーティも終わっ…たと思いきや、ひとつ大事な事を忘れていたらしいw

レースダイジェストの上映だ。
去ろうとしていた人々が戻ってきて、オーロラビジョンに注目が集まる。




表彰式〜レースダイジェストを撮影した動画です。
※再生ボタンをクリックすると動画を再生できます。右クリックでダウンロードも可能です。(213MB)





レースダイジェスト動画の高画質版
<白戸太朗 大会実行委員長の公式動画よりリンクシェア>

Yes, we are an Ironman !![2015 au損保 Ironman Japan Hokkaido highlight Move]

Posted by Shirato Taro on 2015年9月3日





…シビれる。


1600人の選手が一堂に会し、それぞれの目標に向かって突き進み、そして同じ目的地を目指した激動の、一日。

河川敷の悪路、圧倒的なヒルクライム、トレイルラン、漆黒の湖畔、そして栄光のフィニッシュ…。


行き着いたその先から見えた光景。
脳裏に焼き付いたその景色は、1600人それぞれの大切な想い出となって、また明日からの生活へと繋がってゆく。






上映が終わり、今度こそ本当にレースの、そのプログラムのすべてが完遂した。





ホテルロビーを通る。


ロビーで展開されていたアイアンマン公式グッズの物販。

そのほとんどが売り切れていた。
やはりブランドのチカラは、凄い。

IRONMANブランド、その称号の獲得を大切にしつつも、これに安堵せず次に向かってゆければ。



フロントではBIKE返送手配、チェックアウト手配をする人々でごった返していた。



なんか、すんごいハードケースがわんさかと。
その多くは海外選手、かな?

やはり海外レースとなると、これくらいの装備が必要になるのだろうか。

将来の、自分の姿をシミュレーションするかのように、その光景から少しだけ情報収集。





ホテルを出る。

駐車場まで歩いて戻ってゆく。



パーティを終えた選手たちの車が、その想い出とともに走り去ってゆく。


それは、旅の終わり。

楽しかった想い出との、見知らぬ戦友との、しばしの別れ。


若干の物寂しさとともに、いつかどこかでまた会える日を願いつつ。



そして、次の目標へと邁進してゆく。







駐車場へと戻る傍ら、所々にある手温泉で遊ぶ。



おとーちゃんの楽しみに付き合わせっ放しだった2人にとっても、少しはこうして楽しむ要素をいろいろと見つけてくれていたようだ。



そして車に乗る。

隣で出し入れをする車は、レースとは無関係の家族旅行のようだ。



ガソリンが半分を切っていたので、念のためガソリンスタンドへ。



給油中、車から出て、ボーッと街を眺める。

それはどこにでもあるような、やや寂れた観光地の風景。



ガソリン満タン。

カーナビにレンタカーショップをセットし、いざ出発。



そして洞爺湖を後にする。








まっすぐに伸びる高速道路。


すがすがしい天気。

洞爺湖周辺とは違って、このあたりはすっきり晴れているようだ。



娘は車に揺られ、寝てしまった。


音楽をかけながら、ヨメさんと会話を交わし、新千歳空港方面へと向かってゆく。







およそ2時間のドライブを経て、新千歳の市街地に戻ってきた。

そこにはレースの面影ひとつ無い、どこにでもあるような街の喧騒が広がっていた。



レンタカーショップ指定のガソリンスタンドでこれを再度満タンにし、そしてショップに向かい、、、返却。


快適な旅だった。





ショップから空港へは無料巡回バスが出ている。


少し待って、定刻通りやってきたマイクロバスに乗り込む。



往路のガラガラとは正反対の、満席。

その乗客の後姿に、アイアンマンのフィニッシャーTシャツの姿を発見する。


一般客の「アイアンマンに出たんだ〜」という声も聞こえる。


そう、あの日に体験したこと、アイアンマンを走ったという事実、それは紛れも無い真実としてここに、そして胸に深く、刻まれている。






空港に到着。


やや重い荷物をしょって、中に入る。


多くの人でごった返す、北の国際空港。

平日、月曜の午後にあって、東京行きの便はそのいずれもが満席という大盛況。
夏休みも終盤に入って、その人の動きは活発を極めているようだ。





少し早めに荷物預託を済ませ、そしてAirDOからベビーカーを借りる。


そして家族3人での空港探検。














そろそろ定刻の時間が近付いてきた。




いつものように検査場を過ぎ、時間を待つ。


「小さいお子様」がいるので、初めて優先搭乗の、その一番で乗り込むことができた。




続いて、ぞくぞくと乗客が乗り込んでくる。


慌しく荷物を詰め込み、シートに座り、シートベルトをする。

我らが2歳児は無料なのでシートは無く、代わりにおとーちゃんに抱っこをされて、テイクオフを待つ。




定刻、アナウンス、

そして出発、、、


離陸・・・。




ありがとう。

またいつかきっと、ここに訪れるときが来るその日まで。







2016年以降の大会 無期限休止に思うこと



2015年11月末、突如発表された『アイアンマン・ジャパン/フルディスタンスの中止』。

その代替案としてハーフでの開催、加えてアイアンマン・オーストラリア/ケアンズ大会による、日本人専用ハワイスロット枠の確保通知。

衝撃的な決定の理由にはやはり、橋の崩落によるコース設定にその原因があるそうだ。
橋の修復には費用も期間も予想以上に掛かるためか、残念ながら現状のままではアイアンマンブランドの要求水準に足り得る代替コース設定がどうしても出来なかったらしい。

あのドギツいヒルクライムもトレイルランも、走ってみればそこまで悪いものでは無いと思ったけど、国際基準には残念ながら満たなかったようだ。

フルディスタンスの中止措置は残念だけど、ひとまずは「70.3」によるハーフでの開催でその灯を繋いでゆく方針、との決定に、いつかハワイスロットを狙えるほどの実力が備わった頃にまた“ジャパン”でフルディスタンスの闘いに挑めれば…と思いつつ、このニュースを受け止めた。



それと同時に、微力ながら何か出来ることはないだろうかと想いを巡らせたとき、ふと思い出した「ふるさと納税」の募集。
それは洞爺湖町への寄附に加え、大会エントリー代の一部キャッシュバックも受けられるという特別仕様だった。





当時はそのシステムを理解しようとせず、見向きもしなかったのだが、『(年収にもよるが)一定額までは納税したうちの2,000円を差し引いた額が実質的に返金され、かつお礼の特産物がもらえる』という、ふるさと納税そのものの制度に加え、大会事務局独自のキャッシュバック制度も活用すると、むしろプラスになることに気付く。


そこで、まだ受け付けていることを大会事務局に確認のうえ、5万円を寄附。
この寄附額の場合、事務局からのキャッシュバックは1万円のため、最終的に『8,000円もらって、かつ特産物ももらえる』という事になった。

ホントは10万円くらい寄附して、税金還付とキャッシュバックを差し引いた額:およそ3万円程度を本当の意味での「寄附」をするのがあるべき姿だとは思ったけど、初めての納税ということもあって勇気が持てず、結局のところ個人的な懐が若干暖まる、という小心者の行動になってしまった感は否めない。

けど、制度として設けている以上、金額に関わらずきっと、微力ながら洞爺湖町や大会事務局の役に立つ、、、はずだ。

そう思っての行動だった。




2016年1月。
納税に関する一連の事務作業を終え、特産物が届き、事務局からのキャッシュバックも確認した数日後…思いもしないニュースが飛び込む。

それは、なんと2016年度の70.3大会のみならず、今後の開催も含めた無期限休止の発表だった。





前回の発表後、アイアンマン開催コストに関する記事をいろいろと読んでみたが、その内容を読む限り、あの8万円のエントリー代ですら、全体の6割程度しか賄えない財政状況に加え、橋の崩落、そして代替コースの否認。。。

どれだけの困難に苛(さいな)まれ、どれだけの想いが駆け巡ったうえでこの決断が下されたのだろう。


それは本当に、本当に断腸の思いだったのだろう。。。



極端な表現をすれば、個人的には長年渇望してきたアイアンマンの称号を無事獲得し、ひとまず自分にとってのアイアンマン・ジャパンはその役目を果たした事になる。
なのに、この胸の苦しさはいったい何なのだろう。

次の目標は、佐渡Aタイプ完走による「国内5大大会の全制覇」であって、すぐのアイアンマン・ジャパン参加では無いはず。

それなのに、どうしてこんなにも悲しい気持ちに包まれるのだろう…。


個の力は、弱い。ほとんど無力に思えるほどに、弱い。
けど、いつの日か再びアイアンマン・ジャパンが復活できるように、自分にも何か出来る事はないかとアンテナを張り続けることできっと、同じ志を抱いた個々の力が集結され、ロングディスタンス・トライアスロン界の全体が良い方向に向かって行けるはずだ。

だから今はその日を夢見て、その日に向けて、、、
その日、納得のゆく結果が出せるよう、己を鍛錬し続けていきたい。


そう、その先にはアイアンマン・ハワイ “ワールドチャンピオンシップ”がいつまでも待ってくれているのだから。





“ROAD TO KONA”



2014年、皆生大会。
これを制覇したときに感じた、若干の不完全燃焼感。
そしてそれと同時に初めて芽生えた、夢。

それは最終目的地、ハワイ・コナ島で開催されるワールドチャンピオンシップの出場という、果てしなく遠い夢。

それは現実味を持てないほどの、高嶺の…花。






2015年、アイアンマン・ジャパン北海道。
満を持しての出場、そして念願だった『アイアンマン』称号の獲得。

それまでは称号獲得が最終目標であり、ここが最高到達地点だと思っていたが、いざ辿り着いてみると、やはり見える世界が違ってくるものだ。

そう、そこはゴールではなく、新たに芽生えた夢の舞台へのスタートラインだった。




コナ島。

アイアンマン発祥の地であり、ロングディスタンスに挑む選手であれば誰しもが憧れるその地はしかし、競技を極めた者だけがその参加を許される、まさしく異次元の領域。


限りなく、限りなく狭き門。

KONAへの道を開くためのスロット枠、5歳区切りで年代別に設定されたスロットは、わずかにしてその上位2〜3人にしか与えられない、まさしく頂上での闘い。
競争率が多少なりとも低くなる65歳枠や、それ以上の年代をもってしても、設定枠が0〜1人というのも珍しくない。

しかも今大会の65歳1位の記録に当てはめると、なんと今の自分より2時間近くも速い「14時間」というタイムが刻まれている。


今回の大会に向けた準備は、仕事や家庭や育児といった制約もあり、必ずしも充分では無かったとは言え、これまでのロング4レースの中では比較的納得のゆくトレーニングを積むことができたはず。

しかしそれでもまだその足元にも及ばないとなると…いよいよもって、その意識や取り組み方を根底から変えなければならないか。


それにはそれ相応の覚悟が、決意が必要となる。



とは言え、必ずしも気負い過ぎる必要は無い。

初ロングに挑んだ2010年、宮古島大会。
33歳にしてようやく辿り着いた舞台だっただけに、並々ならぬ意気込みを抱く自分に対し、「ちょっと距離が長いだけで、わりとフツー」な意気込みの大学生と相部屋になったとき。
その会話のやりとりで、単に自分で勝手にハードルを上げていただけなのでは?ということを感じた。


だから夢は夢として想いを馳せつつも、これを実現させるための具体的なタイムを算出し、意識して、これをクリアするための努力を重ねてゆけば、いつかチャンスはきっと巡ってくるはずだ。




具体的なタイム、スロット獲得の目安。

総合11時間。


11時間の参考タイムとペース。

■SWIM : 1時間10分 … 1分50秒/100m
■BIKE : 6時間00分 … 30.4km/h
■RUN : 3時間40分 … 5分20秒/km


…そのいずれもが、今の自分では到底叶わぬレベルだ。
フルマラソンひとつにしても、自己ベストより1時間も速い。


11時間を今大会に当てはめると、それでも50位。
各年代で分けてもせいぜい5位だから、11時間でも厳しいかもしれない。


けど、仮に【65歳スロット枠】に目標を定めたとしたら、それを舞台として挑むまでに、あと27年ある。

そしてその間のどこかでも、娘との親子対決もできるかもしれない。


レース終盤、冗談混じりで娘に「一緒にやろうね」なんて言って、なんでもYES回答な年頃なので「うん」なんて答えたけど、あれから数ヶ月経った今でも「おとーさんみたいになりたい」「おとーさんみたいにあいあんまんになりたい」なんて言ってくれたりする。
それがいつまで続くかは分からないけれど、できれば本当に、、、一緒に走れたら、娘を愛する父としてこれほど嬉しいことはない。

それがもちろんトライアスロンでなくても構わない。
娘が好きな事を一緒にやれれば、それでいい。


そのためにも、「生涯現役」でい続けられるよう健康にも気を配りつつ、そして長い長い期間におよぶであろう2つの夢を大切にしつつ、これからもマイペースでずっと走り続けていきたい。




今大会、完走率は85.5%。

そのパーセンテージは、普段のレースとさほど変わらないとのこと。
獲得標高2,355m、そしてトレイルランという難敵も、アイアンマンの世界ではそれほど特別なモノでもないのかもしれない。
けど、「今大会が走れれば世界のどの大会でも走れる」という言葉に、少し自信を持てた気がした。

でもそれと同時に、ロング大会へのチャレンジ初期のような「圧倒的な難関、未知の世界に、持てる力を総動員して挑んでゆく」という“あの”想い、高揚感をふたたび感じることは難しいのかもしれない、、、という、不思議な寂しさも抱いた。


だが、人間とは成長する生き物だ。

今までのような「設定されたコースそのものへの挑戦」から、いよいよ「記録への挑戦」へとシフトしてゆく、ひとつのターニングポイントなのかもしれない。


そう、その遥か先に待ち構えるアイアンマン・ハワイ “ワールドチャンピオンシップ”を見据え、これに挑んでゆく決意を固めてゆくかのように。





ROAD TO KONA。


宮古島から始まったその道は、北海道というスタートラインを経て、想像すら適わぬ領域へと続いてゆく。

その道すじは今は霧で覆われ、行く先を見通すことは出来ないけれど、道は確実にKONAへと続いている。



叶えたい願いを大切に抱き、目標を立て、努力を続けていけば、チャンスは必ず巡ってくる。

そしてそのとき、それを確実に掴み取るために、日々の鍛錬を積み重ねてゆく。



決意を新たにした旅路は今ふたたび、始まったばかりである。




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