>> 独走220km <<

1998年9月

 

このホームページの全体的な雰囲気として、行き当たりばったりの無計画としか言いようのない旅行が多い(実際はある程度の計画を立ててはいるけれど)のですが、今あらためて考えると、「東京23区内の自宅から富士五湖の一つ、山中湖までを自転車で往復してしまう」というわけのわからん行動にそのルーツがあるのでは、という気がします。てなわけで…まぁこれを旅と言うにはちょっと無理がありますが、よろしければそんなエピソードにお付き合いください。

1998年9月17日(木)晴れ〜曇り
東京--山中湖 往復220km ほぼノンストップ走行の軌跡

 

とんでもなく出不精な自分、何か用事がなければ自分から行動を起こすのは滅多にないのだが、その重い腰をいったん上げてしまえばどこまでも行くこの性格が、その日の前日になんとなく無茶な計画を練らせていた。当時自分は大学の自転車部に所属していて、ろくに練習しないくせに独りで走るのは何故か好きなようで、自分の力だけで何かやってみたいという意識があったらしく。
山梨県山中湖村に、祖父の別荘があり、子どもの頃から山中湖とその周辺の環境に慣れ親しんでいた。また、この前の年に夏合宿をちょうどこの付近で行ったこともあり、競技用自転車での距離感等もある程度つかんでいた。

かくして、どう言い訳しても思いつきとしか言いようのない突発的な個人練習(?)がここに幕を開けることになる。

 


 

AM 2:30
起床。まずは軽く腹ごしらえ。そして、道順の確認。以前の夏合宿で、国道413号「道志みち」を通るルートは経験済みだったので、今回はぐるりと大月まわりで行ってみることに決定。今思えば、これが全ての間違いの始まりだったような…

AM 3:30
いざ出発!ふと空を仰ぐと、一昨日の台風5号がすべての雲を払いのけたので久しぶりに星空を見ることができた。途中コンビニで補給食を調達し、走ること数十分、中央高速調布インターを通過。あぁ、ここから車で行けば1時間ちょいでラクに着けるのになぁ…と思いつつ、まずは甲州街道を4時間、大月までブッ飛ばすのである。

 

AM 4:30
非常事態発生!日野駅にて、なんと自転車の心臓部、ディレーラーの故障が発覚したのである。なーんかカラカラと音がするなぁと思って調べたら、ギアを軽くしたときにディレーラーがスポークに当たって音が鳴ってしまうのだ。しかも困ったことに、ディレーラーの取り付けられているフレーム部分ごと曲がっていたので、今持ち合わせている簡単な工具では直すことができない。

中止、という最悪の事態は避けることは出来たが、当然ながら軽いギアは使用不能。幸いにも、通常よりも軽めのギアに取り替えていたため、そのギアが使用できなくても取り替える前と比較して多少重くなる程度だったので、まぁそれほど重大ではないものの、気分的なものと、これからの走行距離を考えるとやはりつらい。

案の定、これがあとになって重くのしかかってくるのである。

 

AM 5:30
夜のベッドタウンを抜け、最初の関門、大垂水峠に挑む。高尾駅付近まで辺りは真っ暗だったので、街灯の無い山道をヘッドライトを付けていない自転車で越えるのはかなり不安(暗所恐怖症(笑))だったものの、ちょうど山道に差し掛かる頃には薄明かりがさしてきたので一安心。

難なく峠を越え、神奈川県に突入。坂を下る途中、某大学自転車部の朝練に出くわす。試合会場で見たことのあるような無いような顔ぶれも見受けられたのだが、そういえば俺、ヘルメットかぶってねぇや。やばっ。

と思ったが、運良く?市販のレーシングジャージを着ていたのでバレずに済んだ。

軽く挨拶を交わしながら坂を下り切るあたりで、走行距離がちょうど50kmだった。このまま引き返して家に帰れば往復100kmなので、練習量としては妥当なところといったところだが、もちろんそんな考えはない。目的地はあくまでも山・中・湖っ!

 

AM 6:20
相模湖駅に到着。さて、前年度の夏合宿時には相模湖の東側をまわって413号(道志みち)を延々登っていく、というルートを通ったため、同じルートをたどったのでは芸がない。というわけで、今回は相模湖の北側を抜け、20号(甲州街道)を突き進む、新ルートで行くことにした。

走行距離的には、遠回りになるのである程度長くはなるが、地図で確認した限りでは傾斜が比較的ゆるやかに感じたので、こりゃひょっとするとラクかも、などと甘い考えを抱いていたのだが。。。

 

AM 7:30
しばらく中央線と並走しながら確実に残り距離を消化していく。鳥沢、猿橋、そして大月と。そういえば電車の路線案内の落書きで、大月の「大」にテンを付けて「犬」にして、この3駅従えて桃太郎、とかあったなぁなどと思い出してみたりしているうちに、ようやく139号線(富士みち)との分岐に到着。20号線(甲州街道)とはこれでおさらば。

ところが、このあたりから突然力が入らなくなってきてしまったのだ。どうやら睡眠不足らしい。途中コンビニに寄ってカフェインを吸収するも、いかんせんパッとしないまま何も考えず、しばらくボーッとしながら走っていた。

さらに、ここまで比較的快調に飛ばしてきたものの、ディレーラーの故障のツケが次第に重なってくるのである。

 

AM 8:20
さぁ、かなり辛くなってきた。視界に富士山が入ってはきたものの、遠くにそびえ立ったまま一向にその大きさが変わらず、距離の消化感が全く無い。緩いと思っていた上り坂は、傾斜としては5%程度なのだが、それが延々と続くのである。そしてそこに直撃したディレーラー故障。軽いギアが使えない。重い。重い。うーむ、これは…キツい。かと言ってほかにどうすることもできないし、というわけで、とにかくゴールまで頑張るしかないのであった。

そして…

 

AM 9:20
ついに山中湖到着!机上の空論で予想していた時間よりも1時間オーバーの、約6時間で到着。ふぅ。やはり一人ではきつい。特に大月まわりは距離が長い分、かなりきつかった。延々と続く坂にはとにかく参った。
懐かしき山中湖を左手に眺めながら、のんびりサイクリングロードを走行する。途中、コンビニで補給をとり、少々の休憩をする。まだ時間としては朝とはいえど、オフシーズンだけに交通量も少ない少ない。この辺りに住む人々って、この時期どんなことをして生活しているんだろう、などと失礼なことを考えながら短い休憩を済まし、いちざ帰路につくことにする。

 

 

AM 10:20
湖を一周する道路と道志みち出口がぶつかるT字路付近に差し掛かり、もう一度湖畔を拝んでおこうと、細い道を突き進むと、そこには湖と富士山とを一度に望むことのできるポイントがあった。波は穏やかで、何千年とこの景色を見守ってきた富士は悠然とその姿を構える。そんな風景をカメラに収めないわけにはいかなかった。

そして、富士とは180度方向転換をし、一路我が家へと足を向けるのであった。

 

AM 11:00
道志川。46kmをひたすら下る道志みちと並行して流れるこの川の流れが、意外にも高い山中湖の標高を感じさせるのであった。またこの道、なかなか傾斜があって下る分にはかなりスピードが出るので面白い。逆に上るとなると、かなりの傾斜をかなりの長さ上ることになるので辛いところ。東京方面から山中湖に至る場合、短くてキツい上りを選ぶか、今回のように長くてダラダラした上りを選ぶか、の二者択一を迫られるわけだが、、、両者の経験者の意見としては…車で行くのが一番かと。(ぉ

 

PM 1:40
さぁ、見慣れた都会の景色が入ってきた。道路標識には見慣れた地名。ここまで来ればもう、家に着いたも同然。空気の悪い、排気ガスに充満された甲州街道を、その日の早朝走った道を逆に辿ること数時間。いくら空気が悪く、自動車が我が物顔で走り自転車が走るにはお世辞にも良いとは言えないこの環境においてさえも、ホッとするのはなぜだろうか。

そしてPM 2:40、全ての過程を消化。振り返れば総時間にして12時間10分、そして休憩時間を除く純走行時間はジャスト10時間と、半日分にも満たない、あっという間の出来事であった。

 

そしてこの猛烈な体験も誰と共有するわけでもなく、翌日からは何の変哲の
ない、普段通りの生活に戻る。私の旅というのはいつも、こんな感じである。

 

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