>> 2012五島長崎国際トライアスロン大会 <<

〜 エピローグ 〜


部屋の窓から、朝日が優しく差し込んでいる。

部屋いっぱいに、洗濯物が広げられている。

昨日の服のまま、ベッドに横たわっている。



…目が覚めた。

どうやら、ゆうべはベッドに倒れ込んだまま寝てしまったらしい。

洗濯物については、ヨメさんが夜遅かったにも関わらず、汗の湿気がこもらないよう広げて乾かしてくれていた。
気になっていたウエットスーツも干してくれていた。
靴も、レースで使ったグッズも、トランジッションバッグも、部屋全体を使って広げてくれていた。

結局晩ご飯はまともに食べなかった。
ヨメさんもちゃんと食べなかったんじゃないだろうか。
申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちの両方が胸に広がる。


朝ご飯をいただきに、カフェテリアに向かう。



すでに多くの選手が席に着いていた。

昨晩のうちにさっさと自転車梱包を済ませた選手もいるようだ。




宿のお母さんに朝食を運んでもらう。




闘いを終えた選手たちの、安堵が広がる空間。
話を聞く限りはみんな、無事に完走できたようだ。

と、慌ただしく荷物をまとめて挨拶をする選手もいる。
どうも飛行機が早い時間しか取れなかったらしく、すぐに出発しなければならないらしい。

「また来年!」
そんな会話が聞こえる。

そうか…来年か。。。
来年、果たして自分はどうなっているだろう?
鳥取・皆生に出るか、新潟・佐渡に戻るか。
それとも、やはり子育てでそれどころじゃないかもしれない。

でも、きっと夢はいつか必ず叶うはずだ。
だから大丈夫。


遅く朝ご飯を食べ始めたから、終わるのも一番最後になってしまった。

今日はこの後は、閉会式を見てアワードパーティでまたたらふく食べて、昼過ぎの船に乗るスケジュールだ。
飛行機までの時間が少し空くから、長崎港に戻ったら、つかの間の市内観光をして、それから空港に行く。

だから自転車を梱包して返送手配する時間は、比較的余裕がある。


食器を片付けているとき、宿のお母さんと談笑する機会があった。
「結婚したの?」
「えぇ、おかげさまで昨日のうちに無事、市役所に出しに行けました。」

…とは言え、ホント紙を出しただけだから全然実感がわかない。
今後時間が経つにつれて身に染みてくるのだろうか。




自転車返送



部屋に戻り、少し休憩したあとに再度、カフェテリアに自転車をバラしに戻る。
すでに食事をしている選手はいない。
なので宿のお母さんに断ってテーブルを移動し、作業スペースを確保。


と、バラす前にパンク修理のCO2ボンベ、結局使わなかったこのアイテムを、せっかくだからということでこの場で試してみることにした。

ぶっつけ本番は絶対にやめたほうがいい、と多方面から声を聞いていて、でも少しでも可能性があるのなら持っておきたい。
そう思ってレース前日に急遽購入したCO2ボンベ。
結局使わずに済んだけど、これを飛行機に持ち込むことは禁止されている。

どうせ捨ててしまうのであれば…ということで、その練習をしてみることにしたわけだ。



で、結果はと言うと…
案の定、バルブの長さが合わず、押しても押しても肝心の空気が入らない。

この買い物は無駄に終わったけど、それはつまりレース中にパンクせずに、無事に走りきれたという事に他ならない。
無駄に終わってよかった。

果たして次にCO2ボンベを使う機会はあるだろうか。
その時は必ず事前に、サイズに合ったものを買おうw


ボンベで遊んだあと、ヨメさんにも手伝ってもらい、自転車をバラす。
一度ならずとも宮古島大会での経験もあって、わりとスムーズにそれぞれのパーツに分かれてゆく。

エアキャップで保護し、バスタオルで保護。
そして空いたスペースに細かなアイテムを詰め込む。

あまりパーツやホイールに負荷が掛からないよう配置を調整しつつ、ケースを閉じ、カギを掛ける。



部屋に戻り、昨晩ヨメさんに広げてもらった洗濯物やグッズ類をカバンにしまい、帰る準備をする。

数多くのウェアにアイテム。
全部駆使して、、、無事完走できて本当によかった。

ようやく終わったという安堵感と、これで終わるんだなぁという、ちょっぴりの寂しさを感じながら片付けを進める。


すべての荷物をまとめ、忘れ物が無いことを確認し、部屋を後にする。


梱包した自転車の宅配用紙に記入し、お金を払って、自転車を託す。
再びの、短いお別れ。
会えるのはまた来週くらいになるか。



お世話になった宿のお母さんに感謝の言葉を述べ、結婚生活への祝福の言葉をいただき、名残惜しいながらも、宿を後にする。



さぁ、閉会式会場に向かおう。




閉会式



宿を出ると、雨が降っていた。
本当に、レース当日だけピンポイントで晴れてくれたんだなぁ。。。

荷物を担ぎ、傘をさして、閉会式会場:文化会館へと歩いてゆく。

多方面から集まってくる選手たち。
みな安堵して、それぞれのペースで歩いている。


会場に到着。

お。会場の入口付近にテントが張られている。食べ物はそこで振舞われているようだ。



すでに食べられる状態にあるようだけど、人の数はそれほど多くない。
まだ閉会式が終わっていないからだろう。


会館の中に入る。

入口を入ってすぐのところにテーブルが広げられ、写真がたくさん展示してある。
昨日のレースでオフィシャルカメラマンが撮った写真だ。



展示されているのはゼッケンナンバー判別不能の写真ばかりで、ナンバーが判る写真はまとめてスタッフが管理しているらしい。



ひとまずはその広げられた写真を探して…
あった!
これはSWIM終了時の写真かな。




それからスタッフに、ナンバーごとにまとめられた写真を見せてもらう。


BIKE中の写真に、RUNスタートの写真。

 


それからゴール直前の写真と、ゴールした後の写真が。

 


一番楽しみにしていた、ゴールテープを2人で掴んでバンザイしている写真は無かったけど、たぶんほかにもWebサイト上で後日公開されるほうのカメラマンもいたはずだから、きっとそっちで見つけられる…だろう。きっと。

複数枚買うと少し安くなるから、最終的にこの5枚を購入。



閉会式の会場に入ってみる。





年代別表彰やインタビューが、延々続いているようだ。
それだったら先にアワードパーティの食べ物をいただいてしまおうw

それにしても、会場はみな安堵感と、心地よい疲労感でいっぱいの空気で包まれていた。



↑表彰式を撮影した動画です。
ダウンロードをご希望の方はこちらを右クリック「名前を付けて保存」にてどうぞ。(44.0MB)




開会式でのカーボローディングパーティ。お皿に次々と食べ物が乗せられてゆく光景は、この閉会式のアワードパーティでも健在。
ただ、朝食を遅めにとったし、チケットも1人ぶんしかないので2人でこれを食べることに。



ビールももらって、のんびり食べる、食べる、食べる。

つわりの中、頑張ってついてきてくれたヨメさん。
立食形式のためちょっと辛そうだ。

と、それを察したのか、ボランティアのおじさんが椅子を持ってきてくれた。
ありがたや。




ひととおり食べて、お皿を片付け、建物内に戻ってみる。


ちょうど表彰式も終わり、大会委員長の五島市長挨拶、そして上位入賞者の世界選手権に関する話題に進んでいた。



…いやはや、世界で「JAPAN」を背負って闘う選手たちの、なんと力強いことか。

一見はただの、どこにでもいそうな人たち。
でも、自分とは雲泥の差があるその実力。

今回のレースで、自分も夢の226.2km、アイアンマンディスタンスを完走した。
またひとつ壁を乗り越えた。
けど、彼ら彼女らにはそれでも到底敵わないことを思い知らされる。

きっと、同じ舞台で闘ったからこそ、その差がタイム差として、明確な数字として突き付けられたからこその実感なのだろう。



世界選手権に向けたセレモニーが終わり、レースダイジェスト映像が流れる。

そこに自分の姿は見つけられなかったけど、、、レース前、開会式でも流れた昨年度のダイジェスト映像を見て感じた不安、それとは180度反対の感情、、、やり遂げた喜び、安堵という感情を抱きながら、これを眺めていた。


本当に、やり遂げたんだなぁ。。。



↑2012年大会ダイジェストを撮影した動画です。
ダウンロードをご希望の方はこちらを右クリック「名前を付けて保存」にてどうぞ。(58.9MB)





映像が終わり、司会者の挨拶をもって閉会式が終わる。
参加者たちの多くはこれから食べ物会場に向かうようだ。

自分たちはちょうど、船の時間。
今から向かえばちょうどいい。
先に食べておいてよかった。



傘をさして、外に出る。

天候は大雨。風も強い。
レースが一日ずれていたら、前後一日でもずれていたらホント、どうなっていただろう。。。

奇跡、奇跡、奇跡。

それ以外に言葉が見つからない。


雨の中、荷物を担いで港を目指す。
5分も歩けば辿り着けるだろう。


昨日の興奮が嘘のように、何も無い静かな街並み。誰もいない道。
それでも、ところどころに立てられたままの大会フラッグが、昨日という日が確かに実在したことを静かに物語っている。



港に着く。
ターミナルの中はすでに多くの選手や関係者が船の到着を待っていた。



空いている席を探して、座る。

お。隣の人も、フィニッシャーポロシャツを着ている。


何かを見ている。
ん?リザルト?

あ!
そういえば文化会館でリザルトと完走証を配っていたんだった。
すっかり忘れていた。

けど、早い便で帰らなければならない選手もいたから、そういった選手向けに郵送する手段もあるはずだ。

そこで大会事務局に電話を…しようにも船がちょうど着いてしまった。
船を降りてから電話することにしよう。


リザルトといえば、レース当日、公式サイトでチェックポイントごとに通過タイムを速報掲示してくれるページがあった。
ヨメさんや、レース後のメールで祝辞をくれた仲間たちはこのサイトを見てくれていたんだけど、肝心のゴールタイムが掲載されておらず、まさかゴール時にポーズをとる事に夢中でちゃんと計測されていなかったんしゃないかと不安になったけど、公式サイト上に正式リザルトが掲載されていて、そこにちゃんと自分の名前が載っていたからホッとした、というプチ事件があった。

ちなみにレース中も終始、速報タイム掲示までに30分くらいタイムラグがあったらしい。



乗船手続きが始まる。



列に並ぶ。





帰りも高速船:ジェットフォイル利用なので時間は短くて済むけど外には出られないから、乗り物酔いに悩むヨメさんにはしばらくの辛抱をさせてしまう。。。

まぁどちらにしても雨だから外に出られる構造でも同じことだけど。
それに復路は長崎港到着後、バス〜飛行機まで2時間ほど空きがある。
だからきっと少しは、回復の時間になるだろう。




座席に座り、ヨメさんに撮ってもらっていた数多くの写真や動画を眺め、そのうちウトウトしてきて…





長崎観光



ふと目が覚める。



陸地が見える。


どうやら、もうすぐ到着のようだ。

外を見ると、雨は止んだようだ。
バスの時間まで長崎市内観光でもしようかと思っていたので、ここでも天候の恩恵を受けることになりそうだ。


船を降りて、いったんターミナル内の待合室の椅子に座る。

大会事務局に電話をして、リザルトを郵送できないか聞いてみる。
結果は予想通り、「可能」とのことだった。

ただ依頼はWebサイトのメールフォームからしてほしいとのことだったので…その場で入力する。
いやはや、スマートフォンならではの機能やね。ありがたや。


同時にヨメさんにも、市役所に昨晩の婚姻届がちゃんと受理されているかを聞いてもらっていた。
本当に紙をただ渡しただけだったから2人ともやや不安だったけど、どうやら大丈夫のようだ。

お互い、それぞれの不安を解消したところで、いったん荷物をコインロッカーに預け、身軽になったところでいざ、市内へと繰り出す。



でも予習を何もしていなかったので、何の予備知識も無い。
とりあえず地図を見てみたら、長崎駅が近いようなのでそこに行ってみることにした。



街は、どこにでもありふれたような景色が広がっていたけど、ついさっきまで寂れた島にいたから、文明のある光景が新鮮だった。





路面電車が走っている。
目的地までは近いけど、あえてこれに乗ってみよう。



すぐ近くにあった駅に入ってみる。

おや、目的地まではわずか2駅だな。
でも120円だから全然構わない。








おっ、来た来た。

ええと、、、お金を払うのは…降りるときか。
ちょうどの額は持ってなかったけど、まぁ大丈夫だろうきっと。




車内は狭くてやや混んでいたけど、活気のありそうな街でよかった。

やかましいのはイヤだけど、寂しすぎるのもちょっといただけない。



そうこうしているうちに、あっという間に目的地の駅に着いてしまった。

降りるのは…先頭からなのね。

お金は…バスと同じような仕組みっぽいな。
ちゃんと両替もできる。

むしろ、着く前に両替を済ましておくのがセオリーだったかな?少し行列を作らせてしまった。
ごめーん。
慣れない旅行者が手間取ってるってことでカンベンしてちょ。




駅に向かう。




規模そのものはそれなりに広そうだ。けど、ぐるりと回っている時間は無さそう。






改札口。

ん?どこかで見た光景だな。



あ。
おとといのテレビの気象情報だ。

線路まで完全に雨が冠水してしまい、多くの電車が運休になっているというニュース。そこでこの光景を見たんだ。

今はすっかり、その面影は無い。
ここ数日の間ずっと雨雲に包囲され、災害にまで至らせた大雨を降らせた最悪な天候にあって、どれだけの奇跡が昨日、起こったのだろう…。




ホームの中には入らず、周囲を少し散策して、歩いて港に戻ることにした。




帰り道はコンビニに寄ったり、店頭で売られている野菜を見たり、不動産屋の家賃なんかを見たりしてご当地ならではのネタがないか探しながら、ぶらぶら歩く。








学校帰りの学生や、行き交う車、そして街を歩く人たち。

そうだ、今日は月曜だったっけ。
有給休暇を取ったから、今晩戻ったらまた明日から仕事。(汗)
本当は長崎市内に宿泊とかしてゆっくりできればよかったんだけど、仕事の忙しい中、無理を言って週末の前後に休みをもらったから、あまりわがままも言っていられない。



しばらく歩くと、もう最初の場所に戻ってきた。さすがにこの短い区間では何もないか。


港のターミナルに戻り、荷物を取り出す。

お土産屋を見てまわる。



そうだ、長崎と言えばカステラ。
すでに会社や実家には初日のレース会場で買ってあるので…自分たちが食べる用に買うことに。




空港行きのバスが来たことを知らせる呼び込みの係員の案内に従って、バスに乗り込む。



長崎滞在もこれで終わり。短い時間だったので慌ただしかったけど、ひとまずは無事に空港に辿り着けそうだ。







高速道路に乗り、1時間足らずで空港到着。どうやらまた雨が降ってきたようだ。
レース中だけでなく長崎市内観光中までも雨が止んでくれて、どれだけの幸運に恵まれたのだろう。

空港カウンターの列に並び、荷物を預ける。




空港内の施設をいろいろ見てまわる。



と言っても特にこれといったものは無かったので、荷物検査をして搭乗ゲートの待合室エリアに入る。
楽しみにしていた駅弁ならぬ空弁は、残念ながらほとんど売り切れ。なので適当に、当たり障りないものを買って、飛行機の時間を待つ。




搭乗手続きが始まる。




座席に座る。

程なくして、定刻通りのフライト。


2時間ばかりの退屈な時間を、備え付けの雑誌を使って2人、遊ぶ。





空弁やお菓子を食べて、しばらくまったりして時を過ごす。




そうしていると、早くも飛行機は高度を下げ始めた。

どうやらもう着いたようだ。


ほぼ定刻通りのランディング。

飛行機を降り、荷物を回収。




少しヨメさんが疲れてしまったので、その場のベンチで休憩したのち、京急線で街へと戻ってゆく。





街に近づくに連れて、仕事帰りの人たちが電車を乗り降りしてゆく。

明日は火曜日だ。


さあ、明日からまた仕事、頑張ろう。




“アイアンマン”



国内4大ロングディスタンスレース:宮古島・長崎・鳥取・佐渡。
このうち2つを制覇した。

けど完走したらしたで、やはり五島長崎「バラモンキング」よりも「アイアンマン」の称号が欲しいというのが、どうやら正直な望みのようだ。

ただ、今年は例年に比べてBIKEコース難度が若干緩和されたうえ、何といっても天候を始めとした様々な幸運に恵まれた。
それに、たしかに完走はしたものの順位は下位だ。

だから、称号をおいそれと望むのは贅沢なことなのかもしれない。

けど、「いつかアイアンマンの称号を得たい」という想いを持ち続けることは、それ自体が高いモチベーションとなって、次のステップへと繋がってゆくだろう。
だから今回は「完走、でも下位」だけど、「下位、でも完走」という事実に胸を張っていたい。



宮古島大会の完走後に掲げた「死ぬまでに国内4大大会を完走する」という目標。

当初のそれは半ば冗談に過ぎなかったけど、アイアンマンディスタンスレースを完走して2大会を制覇した今、やはりここに到達すると見える世界も変わってくる。

最大の山場だった226.2kmを乗り越えた今、残るは“酷暑”鳥取:皆生と“国内最長”新潟:佐渡の2つ。
そしてその先には、アイアンマン“世界大会”が待っている。

果たしていつの日か、アイアンマン“ジャパン”は復活するだろうか。

いつかその日が来ることも心待ちにしつつ、目の前にそびえ立つ2つの大会に照準を定め、次なる高みへと向かってゆく。


精進の日々は、どうやらまだまだ続くことになりそうだ。




家族



「死ぬまでにロングディスタンス トライアスロンを完走する。」
そんなフレーズを口にするようになったのは、いったいいつの頃からだろう。

宮古島大会を完走し、その目標を達成した2年前。
生涯目標を達成したときに抱いた想い、それは長く苦しい競技からの解放感ではなく、さらなるステップに向けた目標…いつしか、「国内4大大会を完走する」という次なる目標に向いていた。

もちろんその要因には、宮古島大会のレース距離がアイアンマン ディスタンスよりもわずかに短いという理由もあったけど、それ以上に「せっかくここまで辿り着いて、ここで止めたらもったいない」という正直な想いがあった。

その後のぐーたら生活の果てに惨敗した翌年の埼玉ミドル トライアスロンの悔しさと、当選した五島長崎大会という2大要素。
長年夢見たアイアンマン ディスタンスの挑戦そして、ヨメさん、いや、お腹の子と合わせて3人でゴールするという夢を達成する!という大きな目標を胸に、これに臨むことができた。


ハードなBIKEコース、そしてとにかく心配の種であった天候。
けど、願いが通じたのか、当日を迎えてみれば奇跡の天候に恵まれた。

雨だったら自転車でダメになるだろう、と、レース前から弱気だった。
もしあのままの心境だったらホントに、最初から自分に負けていて完走できなかったかもしれない。

SWIMがアップ、BIKEが本番、その後のRUNはなんとかなる、いやなんとかする、という宮古島大会でのスタイル、そして制限時間をいっぱいに使って走りきるというタイムテーブル作戦は今回も運良くうまくいった。

けどそれ以上に、ヨメさんとせっかく一緒に参戦したからには何としてでもゴールしなければ!というモチベーション、心の支えが大きかった。



「だーいじょーぶでーす」

ヨメさんがよく口にする言葉。

「大丈夫」という言葉のチカラ。
どんなに苦しくても、きっと何とかなる。
苦しい場面では、そんなヨメさんの口まねをして頑張った。

長く苦しいBIKEを経て、RUNスタートでヨメさんに会えたときは本当に嬉しかった。
だから最後まで諦めずに走りきることができた。


かつて、千葉ショートディスタンス トライアスロンの観戦はヨメさんが体調不良のため叶わず、そして埼玉ミドルディスタンスでは観戦に来てくれたものの、今度は自分があまりの暑さに心が折れてリタイアという、、、ともに満足なレースを見せてあげられなかっただけに、最高の舞台が整った今回のレースで最高の結果を共有することができたのは、何ものにも変えがたい喜びだった。

やはり2人だと楽しさや苦しさ、そして嬉しさを共に体験できるから、1人で参加するのと2人で行くのとは全然違うものだ。
だから一緒に行けて本当によかった。




「死ぬまでにロングディスタンス トライアスロンを完走する。」
そんなフレーズを口にするようになったのは、いったいいつの頃からだろう。

すでにその目標は達成した。
けど、レースに参戦するたびに、困難なレースに参戦するたびに、それを成し遂げるたびに、また新たな目標やモチベーションが見つかり、次のステップ…またひとつ高いステップに進むことができている。


それはトライアスロンという競技だけに限ったことではない。


夫になり、父親になる。

4年も前から子どもの名前を意識していたし、婚姻届も半年前に書いていたので、その心の準備はたぶん出来ていたはず。
でも、口ではそう言いつつも、実際にこの後どうなるかなんて、分かりっこない。
ただ、世の中には子どもがいて、いや、孫すらいて、それでいてアイアンマン ディスタンスを完走するようなツワモノだっていくらでもいる。

だからこの競技を生涯目標にしてよかった。



この先どうなるかなんて、分かりっこない。
けど、生涯を通して挑み続ける道すじは、すでに多くの先人たちが示してくれている。

ヨメさん、そしてまだ見ぬジュニア。
家族で支え合って、支えられて、さらなる高みへと昇ってゆく。



時に、男35歳。


否応無く重ね続く年齢、コンディション、子育て、仕事…。

でも、きっと今度も何とかなる。
今までそうして乗り越えてきたように、新たな難題もきっと越えていけるはずだ。


生き方が、人との闘いからいつしか己との闘いにシフトしていったとき、そしてこの孤高の競技に挑むときに必ず苛まれる葛藤。
それは「いつでも止められる」という自分自身の心の声の存在。

これを克服するためには、これに打ち克(か)つためには、強い意思が備わっている必要があることに気付いた。

継続する意思の力はマイペースで構わない。
けど、自分で決めた確固たる目標をいつか必ず達成するという信念さえあれば、必ずそれを達成できるはずだ。
なぜなら、それは他の誰でもなく、自分自身が決めた目標なのだから。


人に勝つのも大事だけど、やはり大切なのは己自身に打ち克つことだ。

もちろん、心の声に負けて惨めな想いをすることもあるし、人に負けて悔しい想いをすることだってある。
けど、それすらも糧として、バネとして最終的に自分が決めた目標が達成できたならば、それまでに経験してきたことの全てが報われるんだ。

だから、その想いも込めて「生まれてくる子どもが男の子だったら、『勝利』+『克』の当て字で『克利(かつとし)』という名前にしよう」と、4年も前から決めていたっけ。

もちろん、女の子だったらヨメさんに決めてもらうんだ。



己に克つ。

今回のレースでこれを自ら証明できて、よかった。


パパ、すげーだろう?

そんな独り言をつぶやきながらラスト1kmを走っていた。




時に、男35歳。

人生という名の旅路は、家族を伴い、新たなステージへと向かってゆく。



どんな困難があったって、
家族がいるから大丈夫。

大丈夫。すべてはきっと、うまくいく。










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